tag:blogger.com,1999:blog-62134503266666004232024-02-07T11:35:35.418+09:00歳時記 | 最新記事一覧ブログ「歳時記」の最新記事をお届けします。RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comBlogger49125tag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-76916301811562929992020-08-21T00:06:00.001+09:002020-08-21T12:43:37.383+09:00リモートワーク<p>午前中に一度、ミネラルウォーターを買いに近くのコンビニに行くことにしている。</p>
<p>買った物を裸のまま抱えて店を出ると、車が行き交う幹線道路の向こうにも住宅街が広がっている。狭間に少し畑も見えたりして、まだそれほどには暑すぎない午前中の夏の日差しを浴びて長閑な郊外の光景だ。</p>
<p> </p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiOh21oDhPUX9qskYOg_18W7-8aGLEBhuJeJXj-6pDQyPaS2R2l0wIu5vNwU2TnjK9iED2ZOK1_A984n2iOJH6QeqdpkoueFM71e3Es_aZl1LxUtgAJvN3Dfxb9mg73lS1zT1B0wySp9142/s2048/MVIMG_20200821_092632.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1536" data-original-width="2048" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiOh21oDhPUX9qskYOg_18W7-8aGLEBhuJeJXj-6pDQyPaS2R2l0wIu5vNwU2TnjK9iED2ZOK1_A984n2iOJH6QeqdpkoueFM71e3Es_aZl1LxUtgAJvN3Dfxb9mg73lS1zT1B0wySp9142/w400-h300/MVIMG_20200821_092632.jpg" width="400" /></a></div>
<p> </p>
<p>もう何ヶ月も会社に行っていない。</p>
<p> </p>
<p>決して首になったとか、嫌気が差して辞表を叩きつけたとかいう訳ではない(笑)。緊急事態宣言からずっとリモートワークで仕事をしている。</p>
<p> </p>
<p>こういう事態になるとかえって仕事が増えるポジションにいるので、毎日朝から晩まで頭の中は仕事のことで一杯だし、それなりに会議も入っているので、ぼくの脳細胞はパソコンとiPhoneを通してずっと会社という名のネットワークに接続されていて、その中でいろんな問題を処理したり(もしくは処理できなかったり)している。</p>
<p>にも関わらず、ぼくの物理的実体はずっとこの郊外の住宅街にいて、寝室を兼ねた仕事場のデスクの前にずっと座っているのだ(時々ベッドに寝転がったりしているが)。そして、日に何度かこうして住宅街の間を歩いてコンビニに行き、クルマで妻と食事に行き、または近所にお茶をしに行く。それはとても不思議な状況だ。</p>
<p> </p>
<p>コンビニの帰り道に下校途中の小学生の集団に出くわすこともある。また家にいて仕事の合間に宅配便を受け取ったり、宅配便を受け取ったり、また宅配便を受け取ったりもする中で、あそうか生活してるってこういうことだよなあと、普段満員電車で通勤しているとほとんど知ることのない平日の生活感をしみじみと味わっている。</p>
<p> </p>
<p>そう言えば高校生の頃、退屈な授業を聞きながら窓の外を眺めては思っていた。こんな風に明るく降り注ぐ日差しを横目に見ながら、子どもの時代をこうしてずっと電灯の点いた教室の中で過ごして大人になっていくことが果たしていいことなのだろうかと。</p>
<p>転職を決める前も、ずっと内勤が続いていたせいもあって、このままずっと定年まで朝晩会社と家を往復するだけで、日中はずっとオフィスの中で過ごすのかなと考えては、何かもっと別の働き方がないものだろうかなどと考えていたのだった(結局転職した今も内勤のままではあるのだが^^;)。</p>
<p> </p>
<p>リモートワークをするようになって、そんな問題?があっさりと片付いていることに気づく。自宅にいてこうして仕事をしながら、一歩外に出ればそこには平日の住宅街の風景があり、子どもたちの姿がある。</p>
<p>もちろんいろんな事情でリモートワークができない人もいると思うし、リモートワークが広がることで商売上がったりになってしまう人もいると思うが、そういうことを全部抜きにして言うなら、この流れがこのまま定着していくといいなと思う。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-80919995671629813282019-12-07T00:40:00.000+09:002019-12-07T00:40:02.442+09:00また会う約束など<p>春の夜。赤坂。</p>
<p> </p>
<p>店を出ればそこはミッドタウンの裏手に広がる閑静な住宅街。カンボジア大使館前の坂道をHとTと3人で登っていく。店にいる間にだいぶ気温が下がったようだ。</p>
<p> </p>
<p>Hとは30年前に、ぼくが新卒で入った会社で出会い(同期入社だった)、彼女が営業、ぼくがプランナーとしてしばしば一緒に仕事をした。入社した頃からずっと英語の勉強をしていた彼女は、何年かして(予定どおり)会社を辞め、アメリカへ渡った。</p>
<p>そして、彼女が留学した先で同じ大学に通っていたのがTだ。やがて卒業して帰国した彼は、Hの紹介でぼくがいた会社の、偶然にも同じ部署に入ってきた。それが20年前。</p>
<p> </p>
<p>先に立って坂を登るぼくたちに、Hが後ろから話しかける。</p>
<p>「ねえ、今ってそんな風にリュック背負ってるのが普通なの?」</p>
<p>普通だよねえとTとぼくが顔を見合わせて答える。</p>
<p>「私の方が保守的なのかなあ」と彼女が後ろでつぶやく(そう、彼女が日本で仕事をしていた頃はまだバブル全盛期で、みんなリュックは背負ってなかった)。</p>
<p> </p>
<p>それからの時間を思うと気が遠くなる。</p>
<p> </p>
<p>何年かしてぼくは他の部署へ異動し、それから間もなくTは別の会社に転職した。Hは卒業後も日本には帰らず、日本のメーカーの現地法人に入社した後、やがて独立して不動産の紹介業をはじめた。</p>
<p> </p>
<p>ぼくたちの記憶の上にはすでに幾重もの地層が積み重なっていて、だからぼくたちは3人ともそれぞれの地層を掘り起こし、古い化石のような記憶を見つけては、それが探していたものであるかどうか確かめるように話をした。</p>
<p>しかし、そもそもぼくたち3人が揃うのはこれがはじめてなのだ。だから、それは不思議な、時空間を行き来するような会話 だった。それが共通の記憶であるようにぼくたちが話している過去は、実際にはHとぼくの、HとTの、Tとぼくの、時間も空間も少しづつズレた3通りの過去だったのだから。</p>
<p> </p>
<p>やがてアジア会館を過ぎたあたりで、雨が降り出す。ぼくたちは雨を避けて、建物の陰に寄りながらグーグルマップで次の店を探す。</p>
<p> </p>
<p>またしばらくぼくたちが会うことはないだろう。それでもそこに焦燥感がないのが不思議だ。SNSで繋がっている安心感の故だろうか。また何年かしてぼくたちは集まるかもしれないし、二度と会わないのかもしれない。だけど、それはどちらでもいいような気がした。会えば、それが何十年後でも、昨日別れたばかりのような顔をしてぼくたちは話をするだろうし、翌日また会うような気持ちで手を振り合うのだ。</p>
<p> </p>
<blockquote>
<p>また会う約束などすることもなく</p>
<p>それじゃあまたなと別れるときのお前がいい</p>
</blockquote>
<cite style="margin-top: 0; display: block; text-align: right; font-size: 0.9em">(中村雅俊「ただお前がいい」より)</cite>
<p> </p>
<p>若いときに知り合った友人とはそういうものなのだろう。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-8027132813203964122019-11-30T19:56:00.001+09:002019-12-07T00:40:55.514+09:00秋深く...<blockquote>こっちだよ。</blockquote>
<p>落ち葉の積もった地下通路に妻の声が反響する。</p>
<p> </p>
<p>...</p>
<p> </p>
<p>昔ダイエー所沢店だった(閉店時にはイオン所沢店に変わっていたが)場所はもう廃墟のようだった。</p>
<p> </p>
<p>イオンの営業中からすでにタイムズに変わっていた駐車場に車を停め、暗い階段を歩いて降りる(エレベータは店舗部分にあるはずだが、店舗への入り口は閉鎖されていて、歩いて降りるより他に手だてはなさそうだ)。あちこちに落ち葉が積もっているが、もはやそれを掃除する人もいないのだろう。</p>
<p> </p>
<div class="separator"><a href="https://www.amazon.co.jp/12%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%BA-DVD-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%B9/dp/B00005V2R0" imageanchor="1" style="float: left; margin-top: 1em; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;" target="_blank"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjCkplRDOaczTlS6Lx2X6X1EoNAj6OSOdyK2xG9-26WC2SK6UFSMrK3FTbdz35JAFn_xb7Khzfcr6qw3y6T96y54vR5pZANw-D1Dd-cAu10sDeIsc107P11cFfK7-KW1OisEYlrzxOpdMkh/s320/12monkeys.jpg" width="222" height="320" data-original-width="309" data-original-height="445" /></a></div>
<p>テリー・ギリアム監督の映画「12モンキーズ」の中で、独房に入れられた主人公コール(ブルース・ウィリス)は、ある日減刑と引き換えに廃墟になった地上への探索行のミッションを与えられる。そこは、致死的なウイルスの世界的流行で人類のほとんどが死に絶えた世界だ(生き残ったわずかな人々は地下での生活を余儀なくされている)。</p>
<p>地上に上がった彼が目にするのは、廃墟のフィラデルフィアに雪が降りかかる風景だった。剥がれかかった映画のポスター。崩れかかったショーウインドーとマネキン。徘徊するライオンや熊...。だが、彼の意識は最初から混濁していて、それが本当にリアルな風景なのかも定かではない(そのあたりのことは後でさりげなく明かされる)。</p>
<p>そこは、物語の終盤コールとキャサリン(マデリーン・ストウ)が変装のための買い物をするはずの場所だ。もちろん探索行を行う現在の(いや未来の)コールにその記憶はない。それはこのずっと前に起こったことであるから...。</p>
<p style="clear: left;"> </p>
<p>道路を渡り、プロペ通りを途中で折れて、なじみのカフェにたどり着く。それはとてもこじんまりした店で、3、4人入るともう一杯なので、せっかく行っても入れないことがしばしばだ。でもコーヒーはとても美味しく、店主もとても感じがよくて居心地がよい。妻はコーヒーを、ぼくはシチュードミルクティーを頼む。</p>
<p> </p>
<p>それから地下通路を通って、元ダイエーの駐車場に戻る。</p>
<p>まだ小さかった2人の子どもを連れてぼくたちが通った20年前にもその地下通路はあまり賑わってはいなかったが、今は人の気配も絶えて、もう長い間誰も足を踏み入れていないかのようだ。</p>
<p> </p>
<p>物語の最後で、コールは空港の公衆電話から電話をかける。それはカーペット清掃会社の番号で、未来へのホットラインに指定されているのだが、本当に未来に通じているのかはわからない。彼は留守番電話にこう吹き込む。</p>
<p> </p>
<blockquote>12モンキーズは犯人じゃない。俺はもう未来には帰らない。</blockquote>
<p> </p>
<p>そもそも未来に帰る方法は、いや地下からぼくたちがクルマを停めた駐車場へ戻る道はあるのだろうか。店舗への地下入口はもちろん閉鎖されていて、右手の階段も地上に登りきったところで封鎖されているのが見える。残るは左手の...。</p>
<p> </p>
<p>未来からの声のように妻の声が反響する。</p>
<p> </p>
<blockquote>こっちだよ。</blockquote>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-71557259328429598272019-03-28T22:07:00.000+09:002019-03-28T22:07:27.164+09:00ペーパーハウス<p>スペイン・マドリードにある王立造幣局をダリの仮面を被った強盗団が襲う。金を奪って逃げようとした強盗たちは、駆けつけた警察との銃撃戦の後、人質をとっての籠城を余儀なくされる...。</p>
<p> </p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLINSKK-HvgKyI_1Mm9KE0TAC-bi85S-HizDEdTB94xvV1B-crjpeP4MwDWfX6k7aYzgpN9FAlwXb5clq_S5eE6Cfrg_QrrcmBN_idHYsEKl6tHwq_95D3YylsYWAeE9R-_XyrQMFujgyQ/s1600/S_1246540psb_main.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLINSKK-HvgKyI_1Mm9KE0TAC-bi85S-HizDEdTB94xvV1B-crjpeP4MwDWfX6k7aYzgpN9FAlwXb5clq_S5eE6Cfrg_QrrcmBN_idHYsEKl6tHwq_95D3YylsYWAeE9R-_XyrQMFujgyQ/s320/S_1246540psb_main.jpg" width="320" height="180" data-original-width="750" data-original-height="421" /></a></div>
<p>スペイン制作のこのドラマは最近Netflixが力を入れている国別のオリジナル作品のひとつだ。</p>
<p>通常強盗ものと言えば暴力的なシーンを想起しがちだし、冒頭に紹介したようにこのドラマも警察との銃撃戦から幕を開けるのだが、それは見せかけの姿に過ぎないことがすぐに明かされる。</p>
<p>このドラマはむしろ知的で、哲学的で、ファッショナブルで、そしてスペイン的な官能と情熱に彩られた作品なのだ。</p>
<p> </p>
<p>たとえば、強盗団を指揮する自称「教授」の存在。彼は造幣局には一歩も踏み入らず、外から電話一本で強盗団をコントロールする。知的ではあるが、垢抜けず、オタク的で、おどおどしていて、およそ暴力とは程遠い存在だ。</p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2JtH7E4chlVSC0H_dqDIb1gjzm9XDfB4amfu6nNfIQXlKuVnJ8pK_cu89i_e4qoY7lsAkIDsxH4iwiR6-QyXxj9_KnwjGdiWMrGIavwLQzfIRKSMoRGlGsQTsxjWXvJa93RGYYEszDkd-/s1600/201804vYL54wHheZ.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2JtH7E4chlVSC0H_dqDIb1gjzm9XDfB4amfu6nNfIQXlKuVnJ8pK_cu89i_e4qoY7lsAkIDsxH4iwiR6-QyXxj9_KnwjGdiWMrGIavwLQzfIRKSMoRGlGsQTsxjWXvJa93RGYYEszDkd-/s320/201804vYL54wHheZ.jpg" width="320" height="181" data-original-width="800" data-original-height="453" /></a></div>
<p>そんな彼が、何年もかけて練り上げた強盗計画は、籠城するメンバーと人質と、相対する警察と、さらにはそれらをテレビ越しに見守る一般市民の心理をすべて計算に入れ、組み立てられている。その計画を、彼はまた何ヶ月もかけてメンバーに教え込み、訓練していく。そうした綿密な準備の結実として仕掛けられた「強盗」計画は、必然的に彼の性格を反映してそれ自体が知的な一種の作品となっている。</p>
<p> </p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiamt-evBRZXPWIWtcZ3JIKKfFOw6Z1lwV5Bt7aLLw4a2EQclnC4fF5HcNSdfmg1PMpnU8CppZ6DIpKoZ06R1wABvQaON-stUcp2gqr-9qBszO8nQb4TwXs-sWaAIaiiXHWjDRONxztwnVz/s1600/%25E3%2583%259A%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2591%25E3%2583%25BC%25E3%2583%258F%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25B9-300x194.png" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiamt-evBRZXPWIWtcZ3JIKKfFOw6Z1lwV5Bt7aLLw4a2EQclnC4fF5HcNSdfmg1PMpnU8CppZ6DIpKoZ06R1wABvQaON-stUcp2gqr-9qBszO8nQb4TwXs-sWaAIaiiXHWjDRONxztwnVz/s320/%25E3%2583%259A%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2591%25E3%2583%25BC%25E3%2583%258F%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25B9-300x194.png" width="320" height="207" data-original-width="300" data-original-height="194" /></a></div>
<p>たとえば、その色彩感覚。強盗団は、人質にも自分たちと同じ赤のジャンプスーツを着せ、さらにダリのマスクをかぶせて、誰が強盗か人質か外にいる警察からは区別がつかないようにするのだが、このジャンプスーツの赤がこのドラマのキーカラーになっている。意図的に彩度を抑えた画面の中で、要所に配された赤はとてもビビッドで官能的だ。</p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgvUnVr-byGETQONLsz30xvlidGdMu4GiNpg6QnuDcriRrQcUGmRvHJ2ObzSePTWSBb6jG79ExuQ6xkAopZxrjCBaqj-6SKv4aTAfwMXNTw1SQ4Qp8gFCFXfwcRzhQOvz0UprwAT6DKyLHW/s1600/DaT4-B3UQAE9lNg.jpeg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgvUnVr-byGETQONLsz30xvlidGdMu4GiNpg6QnuDcriRrQcUGmRvHJ2ObzSePTWSBb6jG79ExuQ6xkAopZxrjCBaqj-6SKv4aTAfwMXNTw1SQ4Qp8gFCFXfwcRzhQOvz0UprwAT6DKyLHW/s320/DaT4-B3UQAE9lNg.jpeg" width="320" height="180" data-original-width="900" data-original-height="506" /></a></div>
<p>その方針はオープニング映像にも端的に現れている。このドラマのタイトルである「ペーパーハウス」をもじるように、白を基調としたペーパークラフトの内部をカメラが舐めていく中、赤い文字でキャストやスタッフの名前がロールしていく。</p>
<p style="clear: right"> </p>
<p>たとえば、教授とこの事件のネゴシエイターである女性警部(ラケル)との関係。</p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgVorkfHDh6XF8rcb-vsTI2ltpcZwl84LMVyMdPYzo65Pgivtb5btWiCkf4IZWero-c1PupBcjVUi5DBz2UMIFIR6cRIe6vqYebUiW_lg7325Kao2mZ-WLV_0sFTavKs0I3RJbefHA9vUG_/s1600/201804qUBmd233Q4.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgVorkfHDh6XF8rcb-vsTI2ltpcZwl84LMVyMdPYzo65Pgivtb5btWiCkf4IZWero-c1PupBcjVUi5DBz2UMIFIR6cRIe6vqYebUiW_lg7325Kao2mZ-WLV_0sFTavKs0I3RJbefHA9vUG_/s320/201804qUBmd233Q4.jpg" width="320" height="177" data-original-width="800" data-original-height="442" /></a></div>
<p>電話での交渉の席に着いた警部のヘッドフォンに教授がいきなり囁きかけるのは、「今何を着ている?」というセクハラまがいの言葉だ。かと思うと、現場近くのバーでひと息つくラケルの隣に腰掛け、スマートフォンの電池が切れてしまったラケルに、大胆にも「ぼくのを貸しましょうか」と話しかける(電話では変声器を使っているので、彼だとは気づかれない)。</p>
<p>どこまでが計画のうちで、どこからが逸脱なのかわからないままに二人の関係はやがて抜き差しならない情熱を帯びたものになっていく。</p>
<p> </p>
<p>たとえば、その人間描写。こうしたドラマでは、強盗団のメンバーにどれだけ感情移入させられるかが制作者の腕の見せどころだが、その点も申し分ないと言っておこう。</p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhPneAJxr1Dyaecbv0t_8kBm7960wMoa96D3hA5i6RTdNznbvEtDMHzFpL26rCerhmlEcmr7DAj7umyoKu_mpfLTjVVsxniEu7VjzNVtgd5_rWkd-1y3Jq6HZTs1gzCfaZVddb8s1TGD7S9/s1600/2018042xheNUNfws.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhPneAJxr1Dyaecbv0t_8kBm7960wMoa96D3hA5i6RTdNznbvEtDMHzFpL26rCerhmlEcmr7DAj7umyoKu_mpfLTjVVsxniEu7VjzNVtgd5_rWkd-1y3Jq6HZTs1gzCfaZVddb8s1TGD7S9/s320/2018042xheNUNfws.jpg" width="320" height="180" data-original-width="800" data-original-height="449" /></a></div>
<p>教授がスカウトしてきた強盗団のメンバーは、世間的にはみんなどうしようもない連中だし、実際その破綻ぶりは回を追うごとにたっぷりと描かれていくのだが、逆にそんな連中がどんどん愛おしくなってくるから不思議だ。まさに人質たちだけでなく、視聴者の全員がストックホルム症候群(誘拐事件や監禁事件などの被害者が、加害者である犯人に対して好意的な感情を抱く現象)に陥っていくかのようだ。</p>
<p> </p>
<p>そして、コードネーム。教授以外のメンバーは、互いの素性を知ることのないよう全員都市名のコードネームで呼び合う。リーダー格のベルリンを筆頭に、モスクワ、オスロ、ヘルシンキ、ナイロビ、デンバー、リオ、そしてトーキョー。</p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjEYSplvWPn0VNGYFrZd8x_UMzeQfTf4mMis4jUg57h45UJgZUQ8B0GLVOjt3XrEM41VVj_o6mdL_X7cYA4VtHoHC68WF41MrDFikEkRjUBabpRB9x0Ih84tCaBgHQuUEb4ooDF5JWEpKgq/s1600/201804bem6d1jG9l.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjEYSplvWPn0VNGYFrZd8x_UMzeQfTf4mMis4jUg57h45UJgZUQ8B0GLVOjt3XrEM41VVj_o6mdL_X7cYA4VtHoHC68WF41MrDFikEkRjUBabpRB9x0Ih84tCaBgHQuUEb4ooDF5JWEpKgq/s320/201804bem6d1jG9l.jpg" width="320" height="181" data-original-width="800" data-original-height="453" /></a></div>
<p>ちなみにトーキョーのコードネームで呼ばれるのは、魅惑的だが危険な香りのする女性だ。彼女はドラマのナレーター役も兼ねているのだが、常に過去形で語られるそのナレーションはどこか破滅的な結末を予測させつつ、このドラマに哲学的な陰翳を与えている。それでいて、実際の彼女が引き起こす事件の数々は、なかなかにぶっ飛んでいて、教授の緻密な計画をズタズタに引き裂くそのトリックスターぶりにやがて目が離せなくなる。</p>
<p> </p>
<p>このドラマ、2シーズン22話ですでに完結しているが、今年(2019年)第3シーズンも公開されるらしい。ぜひお楽しみを。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-51200043039086600992018-12-13T23:25:00.000+09:002018-12-15T00:02:06.625+09:00前世の記憶と虫の声<p>大学生の頃に住んでいた古いアパートは、裏手が空地になっていた。そこはぼくが住み始めた時からすでに空地で、7年後に引っ越した時も空地のままだった。誰が手入れすることもなく、草が伸び放題で、虫たちの天国のような場所だったから、毎年秋になるともう喧しいくらいの虫の大合唱を聴くことができた。</p>
<p> </p>
<p>ある秋の日、アパートの部屋でふと目覚めたら夜の9時を回っていた。夕方帰ってきて、いつの間にか寝入っていたらしい。まだ覚めやらない頭で、そうだ晩飯食わなきゃなあというのと、洗濯もしなきゃあというのを一緒くたにぼんやりと考えているその耳にも、やはり虫たちの大合唱が聴こえていた。</p>
<p> </p>
<p>その頃ぼくは金のないただの大学生で、何のスキルも自信も、そして将来の展望も何ひとつ持ち合わせていなかった。</p>
<p>それから30年が経って、その間に就職し、結婚して子どもも持った。そして自分に何ができ何ができないかを知った今でも、ぼくはまだ学生時代のあのアパートにいて、うたた寝の中で長い夢を見ているんじゃないかと思うことがある。次の瞬間には目が覚めて、気がついたらあの虫たちの大合唱の中にいるんじゃないかと。</p>
<p> </p>
<p>そこで思い出すふたつの物語がある。</p>
<p> </p>
<p>ケン・グリムウッドの小説『リプレイ』は、人生を何度もやり直した男の話だった。43歳の誕生日に心臓発作で命を落とした主人公は、次の瞬間自分が学生時代の寮の自室にいることに気づく。それから彼は前世の記憶を頼りに、失敗したり成功したりしながら新しい人生を生き直していくのだが、43歳の誕生日を迎える度に同じ発作が彼の命を奪い、気がつけばまた学生時代の寮の部屋に戻っている。そうやって、彼は数限りない人生を繰り返していく、そういう話だ。</p>
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<p> </p>
<p>2度目の人生の中で、彼はとある上流階級の女性と結婚して子どもをつくる。結婚生活は味気ないものだったが、彼にとって最初の人生で得られなかった娘の存在は大きな慰めだった。</p>
<p>しかし、43歳の運命の日が来たとき、彼は最愛の娘グレッチェンがピアノを弾く姿を見ながら心臓発作に襲われる。</p>
<p> </p>
<p>次の瞬間、自分が寮の自室に戻っていることを知り、そして同時に最愛の娘を永遠に失ったことを知った主人公は悲嘆に暮れる。いや失っただけであればまだよかった。再びはじまった彼の人生では、彼女は元々存在さえしないのだ。彼女の存在を知る者はひとりもおらず、彼女の存在の痕跡を示すものすら何ひとつない。グレッチェンは、築きあげた彼の(二度目の)人生とともに、永遠に消えてしまったのだ。</p>
<p> </p>
<p>もし、ぼくが次の瞬間学生時代のあのアパートで目覚め、その時に前世(?)の記憶を失っていなかったらどうだろうと考える。妻とはその頃すでに知り合っていたから、もう一度出会い直すことはできるかも知れない。そこからいくつもの分岐路を間違えることなく無事結婚にまでこぎつけたとして、しかしその先に生まれてくるのは現在の子どもたちだろうか? もしそうでなかったら?</p>
<p> </p>
<p>すべてを忘れ去ってしまうのも悲しいことだが、すべてを覚えているというのはそれ以上に残酷なことだと思う。</p>
<p> </p>
<p>もうひとつの物語は、中国の沈既済という人が書いた『枕中記』に語られるお話だ。</p>
<p>主人公盧生(ろせい)は、人生の目標も定まらないまま故郷を出て趙の都邯鄲(かんたん)にやってきたが、出会った道士に自らの不幸を延々と語る。それを聞いた道士は盧生に夢が叶うという枕を差し出す。盧生がその枕を使ってみると、みるみるうちに出世し、挫折と成功を繰り返しながらも最後には国王に仕え、子や孫にも恵まれて幸せな人生を送る。そしてある日眠るように死に、気づいたらそこは道士に出会った場面で、眠る前に火にかけた粥がまだ炊きあがってさえいなかった...。</p>
<p> </p>
<p>「邯鄲の夢」とか「一炊の夢」などの故事成語になったこの話は、「人生の栄枯盛衰は儚いものだ」という老荘的なエピソードとして知られる。実際、盧生は「私の欲を払ってくれた」と枕をくれた道士に礼を言い、故郷に帰っていくのだが、彼は夢の中を生き、永遠に失われた愛する者たちに愛惜を感じることはなかったのだろうか。それもまた欲であり、愛もまた儚い幻と言ってしまえばそれまでなのだが。</p>
<p> </p>
<p>そんなことを考えるのも、あの学生時代のぼくと現在のぼくと、考えているぼく自身は何も変わってないように感じられ、それでいてあの時と現在の間には30年の日々が確かにあって、外形的にはもうまったく異なる場所であのときには持っていなかったいくつかの幸せを手にしながら現在の自分が生きているというその事実との間に、どうしても解消できない落差を感じるからだろう。</p>
<p> </p>
<p>連連(つらつら)とそんなことを考える秋の夜(と書いているうちに季節は冬になり、虫の声もはや絶えてしまった…)。</p>
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RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-45727988403841733772017-09-26T22:45:00.000+09:002017-09-26T22:45:17.490+09:00深夜のローソンと生物教室のパーティ<p>深夜3時。まだ起きている妻と息子を誘って、近くのローソンまで買い物に出る。</p>
<p> </p>
<p>雨がアスファルトの暗い路地を濡らしている。</p>
<p>帰り道、買い物袋を提げて前を歩く息子の背中を見ながら、ぼくは高校生の時のある情景を思い出す。</p>
<p> </p>
<p>…</p>
<p> </p>
<p>Yの誕生日を祝うために、ぼくたちが生物教室に忍びこんだのは、ある2月の日曜日だった。</p>
<p></p>
<p>何故生物教室だったのかと言えば、Yを含む5名のうちの2名(FとF)が生物部所属だった関係で、ぼくたちはみんなその部屋の鍵の在り処を含め勝手をよく知っていたからだ。</p>
<p> </p>
<p>飾り付けをやったり、キャンドルを灯したりして、ぼくたちはひとしきり誕生パーティを楽しんだ。ぼくはギターを持ち込んで歌ったかもしれない。Yは悪ノリをして、不気味な笑いを浮かべながらキャンドルから垂れるロウで実験用のテーブルにいたずらを施した(後でこれがぼくたちの命取りになるのだが)。</p>
<p> </p>
<p>パーティが終わり学校を出た後、近くにある江戸時代の大名庭園跡へとぼくたちは歩いた。薄暮の風景の中をFとYが二人乗りでフラフラと自転車を漕いでいる情景が、今もぼくの脳裏にははっきりと焼き付いている(それをもうひとりのFが8ミリで撮影していて、後にFの家でやった上映会でぼくたちはその映像を観た)。</p>
<p> </p>
<p>それは確か高2の冬で、翌年には大学受験と卒業が待っていた。いずれぼくたちはみな離れ離れになっていく、そのことを意識せずにはいられない時期だった(全員が受験に失敗して、全員が同じ予備校に通うことになるとは、そのときは誰も知らない)。そして、薄れゆく光の中でぼくは考えていた。10年か20年が過ぎてみんな別々の道を歩き出したその後に、ぼくは何処かでこの風景を思い起こすことがあるのだろうかと。</p>
<p> </p>
<p>ちなみにぼくたちの犯行はあえなく発覚し、全員が反省文を書かされる羽目になる。翌日登校して生物教室に入った後輩が異変に気づき、教室が荒らされていると顧問の教師に報告したのだ(部屋を出るときにぼくたちはYのいたずらの跡をきちんと始末しなかったのだろうか)。そこからどういう経路でぼくたちのところに学校当局の捜査が及んだのだったか、それは覚えていないが、とにかくキャンドルを持ち込んで火を使ったことが特に問題視された記憶がある。</p>
<p> </p>
<p>…</p>
<p> </p>
<p>それから35年たった。</p>
<p> </p>
<p>この春に高校を卒業して大学に通い出した息子は、もうあの時のぼくを追い越している。そんな彼もやがて家を出て行くだろう。妻と息子と3人でこんな風に買い物に出るのも、多分そう何度もあることではないはずだ。</p>
<p>深夜のコンビニからの帰り道、そぼ降る雨に傘をさして3人で歩いた記憶がぼくの中に残り、いつの日かみんな忘れ去ってしまった頃に、ぼくの脳裏に甦るのだろうか。</p>
<p>その日を待つでもなく、薄ぼんやりとした街灯の下でただ現在の暗い路地は雨に濡れ、どこまでも続いていく。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-31411332248954977512017-03-07T23:21:00.000+09:002017-03-11T23:16:31.603+09:00ルネッサンス訪問記<p>ホットコーヒーとジュースと紅茶しかないメニューは健在だった。</p>
<p> </p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgFJLcDCKSNQFdTLtuJ1DJregP3flKMVEXeYbasQY5uDa8loieotrRC9SQv3LxQ4KL1lbK0_gQaWkY3oVVoBUdeNzdRiF3C4N0szvdL7m4O_A3OTmhrkibELappDTC9P6QyI1_SlThDaiId/s1600/%25E3%2583%25A1%25E3%2583%258B%25E3%2583%25A5%25E3%2583%25BC.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgFJLcDCKSNQFdTLtuJ1DJregP3flKMVEXeYbasQY5uDa8loieotrRC9SQv3LxQ4KL1lbK0_gQaWkY3oVVoBUdeNzdRiF3C4N0szvdL7m4O_A3OTmhrkibELappDTC9P6QyI1_SlThDaiId/s200/%25E3%2583%25A1%25E3%2583%258B%25E3%2583%25A5%25E3%2583%25BC.jpg" width="150" height="200" /></a></div>
<p> </p>
<p>昔、中野サンモール商店街の脇道にあった伝説の名曲喫茶「クラシック」。高齢の創業者が亡くなった後2005年に閉店したが、スタッフが調度品を買い取って高円寺に店を復活させたと聞いていた。</p>
<p>高円寺は娘が一人暮らしをはじめてから何かと縁のあるまちだ。娘に会いがてら妻と二人で行ってきた。</p>
<p> </p>
<p>階段を降りると、椅子の上に3品だけのメニューを書いた額が置いてある。</p>
<p>なるほど。</p>
<p>そして、左手のドアを開けると期待通り薄暗い店内。往時のクラシックより、心もち明るいような気がしないでもない。</p>
<p>入口で食券を買うシステムは昔と同じだ。飲めたものではなかったコーヒーとジュースの味も昔と変わらないのだろうか。ちょっと迷うが、昔の習慣にしたがって消去法で紅茶を選ぶ。</p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgn_crxcd6-RFrlHJi-wGPSZtQVH8tO6z-Ue4N157lTkDFTMJKABMneqnUHBwue3aV8SEZSMj2fuDpGc7PAHtM_GOw1RXc6G7O2eVcr9O7TLdEvz-wepsNdWKk4AW2H0t8f871c5D8zE5D8/s1600/%25E3%2583%2588%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25AC.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-top: 1em; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgn_crxcd6-RFrlHJi-wGPSZtQVH8tO6z-Ue4N157lTkDFTMJKABMneqnUHBwue3aV8SEZSMj2fuDpGc7PAHtM_GOw1RXc6G7O2eVcr9O7TLdEvz-wepsNdWKk4AW2H0t8f871c5D8zE5D8/s200/%25E3%2583%2588%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25AC.jpg" width="200" height="195" /></a></div>
<p>見回すと、空いている席はみな椅子のカバーが破れているか、ズバリ「着席禁止」の貼り紙があるかだ。仕方がないのでカバーの破れた椅子に妻と腰をおろす。昔と同じく2階席はないのかなとしばらくキョロキョロし、「トイレは階段を上った右側」という貼り紙を見つけさらにキョロキョロするが、ここは地下だった。2階席がある訳はない^^</p>
<p> </p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhP5OTlSvVmGsghsY7V9CeDVieYEgxEQRd9Hx5ujVutEcnohiwOh_sYtdjkLUuBbE1VSlZXRAvd_hKiMQLZtFOUwpT0W-f9DbzjVH_haxi9kw0ealtdMAlbyKf8wsWkR4o_g2089lvEc7GM/s1600/%25E7%25B4%2585%25E8%258C%25B6.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhP5OTlSvVmGsghsY7V9CeDVieYEgxEQRd9Hx5ujVutEcnohiwOh_sYtdjkLUuBbE1VSlZXRAvd_hKiMQLZtFOUwpT0W-f9DbzjVH_haxi9kw0ealtdMAlbyKf8wsWkR4o_g2089lvEc7GM/s200/%25E7%25B4%2585%25E8%258C%25B6.jpg" width="200" height="150" /></a></div>
<p>注文した紅茶がまもなく運ばれてくる。カップの横に添えられているのは昔のままの角砂糖が2個、でもミルク入れはマヨネーズの蓋ではなくちゃんとしたミルクピッチャーだし、水の入ったコップもワンカップ大関の瓶ではない。</p>
<p> </p>
<p>流れているのはバッハ。永遠に閉じた円環の中を廻りつづけるかのように音が連なっていく。</p>
<p> </p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhPDtmitSISaeiyJapu-qfG2wD36X6TUFIGHwrK6mnaOGu5uYAjdQLpl-US6mzOEeB5prBbzbnPVLaqo8RMamwhmiZMBHmglP3TmbwaSVITGs7bP4bRz3gZ1RI089ZYYCDgH5DBbYC-Ouop/s1600/%25E6%259C%25AC%25E6%25A3%259A.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-top: 1em; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhPDtmitSISaeiyJapu-qfG2wD36X6TUFIGHwrK6mnaOGu5uYAjdQLpl-US6mzOEeB5prBbzbnPVLaqo8RMamwhmiZMBHmglP3TmbwaSVITGs7bP4bRz3gZ1RI089ZYYCDgH5DBbYC-Ouop/s200/%25E6%259C%25AC%25E6%25A3%259A.jpg" width="200" height="192" /></a></div>
<p>ふと見やった壁際の本棚につげ義春の名前を見つけた。</p>
<p>学生時代、入り浸っていた親友の部屋を思い出す。そこにはいつもつげ義春と唐十郎と麻雀牌と煙草の吸い殻が拾ってきたベッドとこたつの間でごちゃごちゃになって散らばっていた。</p>
<p>ぼくはぼくで、白い冷蔵庫の扉にミラボー橋の詩を殴り書きした自分の部屋で、ボードレールやらゴドーやらデリダやらドゥルーズやらをノートの上でひねり回したり、それらを全部放り出してギターを弾いたりしていた。</p>
<p>重なっているようなズレているようなそんな二人の共通の接点になっていたのがクラシックだった。</p>
<p>どちらにしても頭でっかちな時代だった。</p>
<p> </p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitSlxrVIPy6VUCZ6YwfK9jwZ2kquWmse6U_Nh3cWutnbirhlaHdfDD5bmMVicxAI-wJKNugq0Ht397wsO_KQtW_BvSjlozBkad0qNzYbDiVOhxO6l1_-EI2MsAv9O1C0HXIEcZWrWv-Lq3/s1600/%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25A8%25E3%2582%25B9%25E3%2583%2588%25E3%2583%259C%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2589.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitSlxrVIPy6VUCZ6YwfK9jwZ2kquWmse6U_Nh3cWutnbirhlaHdfDD5bmMVicxAI-wJKNugq0Ht397wsO_KQtW_BvSjlozBkad0qNzYbDiVOhxO6l1_-EI2MsAv9O1C0HXIEcZWrWv-Lq3/s200/%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25A8%25E3%2582%25B9%25E3%2583%2588%25E3%2583%259C%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2589.jpg" width="200" /></a></div>
<p>ふと妻が、リクエストボードがあるよ、と壁を指差す。</p>
<p>闇と埃に包まれた壁の一角に、たしかに何やら殴り書きされたボードが掛かっている。</p>
<p>かつて親友は、クラシックに来ると必ずパッフェルベルのカノンと書いて、それから2階席へ階段を登るのだった。</p>
<p> </p>
<p>なにかリクエストする?と妻が聞く。</p>
<p>いや、と僕は答える。</p>
<p> </p>
<p>それからいくつもの時間が過ぎて、ぼくは就職し、仕事を覚え、結婚し、子どもができ、そしてその子どもが一人は就職し、もう一人も今度大学生になる。</p>
<blockquote>ここにも本当の闇はないんだよな。</blockquote>
<p>あの時の親友の言葉がまた甦る。彼に教えられてから、ぼくはいろんな人をクラシックに連れて行ったが(妻もそのひとりだ)、いま思えばそれは単なる話のネタ程度のものでしかなかったのかも知れない。</p>
<p> </p>
<p>あれから劇団唐組で自分の場所を築いていった親友は、本当の闇を見つけただろうか。ぼくはそこから離れ、随分と遠い場所に来てしまったような気がした。</p>
<p>夕暮れに覗き込んだアパートの郵便受けの暗がりや、夜中にふと立った共同便所の、顔の横にひっそり灯る裸電球と、その下に誰にも気づかれず蹲っている白い埃なんかに気をとられていたぼくはもういない。</p>
<p> </p>
<p>そろそろ行こうか。</p>
<p> </p>
<p>バッハの組曲はいつの間にか次のレコードに移っていた。ぼくたちは立ち上がり、その店を後にする。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<aside style="font-size: 1.2rem; border-top: 0.5px solid #ccc; padding-top: 1em;">なお、店内は撮影禁止であり(後で知ったけど^^)、ここに掲載した写真はすべてイメージですm(__)m</aside>RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.com日本, 〒166-0003 東京都杉並区高円寺南2丁目48−11 堀萬ビルB1F35.7025943 139.648379400000079.808196800000001 98.339785400000068 61.5969918 -179.04302659999996tag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-29136265291719768732017-02-09T23:11:00.001+09:002017-02-10T07:54:06.363+09:00もぬけの殻<p>妻が参加するコーラスグループ(のひとつ)「はらっぱ音楽隊」の発表会が先日あった。</p>
<p> </p>
<p>「はらっぱ音楽隊」は、毎年大泉井頭公園で行われる「白子川源流まつり」に参加して、野外ステージで歌っている。</p>
<p> </p>
<p>ちなみに白子川というのは、練馬区東大泉にある大泉井頭公園を源流として、ほぼ北東方向へ和光、成増を経て、高島平の辺りで荒川水系の新河岸川に流れ込む一級河川の名前だ。そして「白子川源流まつり」は、この白子川源流の湧水とその水辺環境の保全をPRしようという趣旨で、2001年から行われているイベントだ。</p>
<p> </p>
<p>さて、今回も「はらっぱ音楽隊」で妻が出演するというので、ぼくは前日からGoogle Mapで経路と時間を調べ、準備をした。大泉井頭公園は、西武池袋線の大泉学園駅を降りて南口から10分強の場所にある。</p>
<p>妻の出演は14:00頃だ。到着時間を変えて何パターンか調べると、電車の時間によっては大泉学園から行くよりも(所沢からみて)ひとつ手前の保谷で降りる方が若干だが早いようだった。よくよく地図を見ると、そもそも大泉井頭公園は大泉学園と保谷のほぼ中間くらいに位置していて、大泉学園からだと駅を出て少し戻るかっこうになるので、保谷からの方が早いのももっともなのだった。</p>
<p>よしよし。新しい発見にぼくは独りほくそ笑みつつ布団に入る</p>
<p> </p>
<p>当日、予定通りの時間に家を出て、所沢で池袋線に乗り換える。</p>
<p>予定通りの時間に急行がやって来る。乗る。</p>
<p> </p>
<p>ところが、保谷に着いたところで事態は急転直下、突然腹痛に襲われる。背に腹痛は変えられず^^; 改札を出て、左手に見える西友に飛び込む。</p>
<p>何とか事なきを得て西友のトイレを出ると、わりとギリギリの時間になっていた。13:46</p>
<p>急がねば。</p>
<p>西友を出て、改札を反対に横切り、階段を降りる。スマホの地図と見比べながらロータリーを歩いて行くと、なんか目の前の道の形状とスマホの地図が違う。ん?と思って見上げると、太陽が後ろにある。南口のつもりがぼくが出たのは北口だった。</p>
<p> </p>
<p>焦りながら駅まで戻り、階段を登り直す。また改札を横切ってさっきの西友の方に出る。最初から西友側の階段をそのまま降りればよかったのだった^^;</p>
<p>スマホを見ながら駅前の道を左に曲がる。</p>
<p>そこからはだいたい一本道だ。歩いている途中で妻からLINEが入る。13:50</p>
<blockquote>来れそう?</blockquote>
<blockquote>いま保谷から歩いてます(^^)v</blockquote>
<p>信号を渡り、さらに歩く。
<p>住宅街に入る。また妻からLINE。13:55</p>
<blockquote>もうすぐ?</blockquote>
<blockquote>もうすぐそこ</blockquote>
<p> </p>
<p>やがて白子川に沿った緑道が見えてくる。13:57</p>
<p>やれやれ。</p>
<p>緑道に立って左右を見回す。Google Map上ではこの辺りが大泉井頭公園になっているが、会場はもう少し南、もしくは北らしい。</p>
<p>南?北?どっちだ?</p>
<p>どちらからかイベントの賑わいが聞こえるかなと思ったが、それらしい音はまったく聞こえて来ない。</p>
<p>時間がない。13:58</p>
<p>野性の勘にしたがって、ぼくは右手(南)方向に歩き出す。</p>
<p> </p>
<p>歩いて行っても賑わいはまったく聞こえて来ない。人もあまり歩いていない。もともとそれほど大きなイベントではないので、人が少なくても不思議はないと言えばないのだが。</p>
<p>やっと見覚えのある風景が見えてくる。14:00</p>
<p>しかし、人がいない。屋台も出ていない。ここじゃないのか?</p>
<p>まだ先へ行かないといけないのだろうか?保谷側から来るのは初めてなので、どうも勝手が違う。</p>
<p>妻からLINE。</p>
<blockquote>はじまるよ</blockquote>
<p>仕方ない。演奏がはじまって途中から見る感じだな。妻よ許せ。</p>
<p>とか思いながら遊具の間を回り込むように歩いて行くと、川辺へ降りる階段があり、一組の母子が遊んでいる。なんか見たことのある広場がある。どう見てもこれのような気がする。なんで誰もいない?</p>
<p> </p>
<p>とそこで、突然雷に打たれたように、あるひとつの感触がぼくの脳裏に甦ってくる。</p>
<p>ひと月ほど前自分でスマホに今日の予定を書き込んだ時の…。その時会場名もたしかに書き込んだ。大泉学園駅北口の大泉教会と。</p>
<p>そう言えば、と芋づる式に思い出すのは、昨日Google Mapで大泉学園付近を検索した時に、なんか意味ありげに大泉教会の名前が出てきたこと...。</p>
<p> </p>
<p>瞬時に頭をめぐらせる。ここから大泉学園駅まで10分強、駅から教会までさらに10分。時計を見ると14:02。妻たちの演奏は30分くらいと言ってたので、着く頃にはほとんど終わっている計算だった。</p>
<p> </p>
<p>妻にLINEする。</p>
<blockquote>白子川だと思ってた</blockquote>
<blockquote>がーん(笑)</blockquote>
<p> </p>
<p>妻は一瞬にしてすべてを察したらしい。
<p>小春日和の日差しの中、子どもが走り、母親が見守るそのおだやかな風景の中で、白子川源流をめぐるぼくのささやかな旅は終わりを告げたのだった。</p>
<p> </p>
<p>あー疲れた…(そういえば「白子川源流まつり」は去年の10月に終わったばかりだった...^^;)。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.com日本, 東京都練馬区東大泉7丁目34 大泉井頭公園35.745947699999988 139.577169499999979.8515491999999867 98.268575499999969 61.640346199999989 -179.11423650000006tag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-28634858607506450372017-01-31T23:27:00.000+09:002017-02-04T21:23:30.751+09:00ぼくたちの風景<p>中野で東西線を降りる。</p>
<p>階段を降り、人混みを抜けて改札を出る。妻と娘はまだ来ていない。</p>
<p>なにげなく見上げた視線の先のビルの上階に友人に教えてもらった安いカレー屋があったなと思うが、それはもう30年も前の話。いまその心当たりの場所に見えるのは、空きテナントの紙が貼られた暗いガラス窓でしかない。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>2月から娘が都内で独り暮らしをすることになった。</p>
<p>4月から社会人なのだが、勤め先のビジネスの繁忙期が2-3月なので、ひと足早く2月から勤務がはじまるのだ。</p>
<p>自宅から通うのは遠いからと言って、娘が探してきたアパートの住所は東高円寺だった。</p>
<p>ぼくが独身時代に住んでいた中野からひと駅だなと思ったが、実際にGoogleMapで場所を確認すると、高円寺と言ってもむしろ中野駅の方が近いくらいの場所だった。ぼくが住んでいたところからは歩いてほんの10分ちょっとだ。</p>
<p>妻も一時期中野に住んでいたことがあるので、中野はぼくたちにとって懐かしい場所だ。</p>
<p>そんな訳で、2日前に娘の荷物をクルマで運んだ時には、南口の五差路を越えたところにあるロイヤルホストで昼を食べた。そこは昔ぼくがいつもカウンター席で仕事をしながら夕食を食べていた店で、妻とぼくが結婚の話をした場所でもあった。</p>
<p> </p>
<p>そして、ロイヤルホストと桃園川緑道をはさんで隣り合ったところの定食屋。</p>
<p>そこもまた当時ぼくがよく通ったお店で、結婚が決まった時に妻を連れて行って挨拶したら、小母さんが驚き、そして喜んでくれたのを覚えている(考えてみればあの時の小母さんは今のぼくらよりも年下だったかもしれない)。</p>
<p>ロイヤルホストを出て覗いてみたら、その店はまだそこにあった(ビルはすでに新しくなっていたが)。その日は日曜で定休日らしく入ることはできなかったが、今日は妻と娘と三人で待ち合わせ、その店で夕食を食べることになっている。</p>
<p>あの時の小母さんと、いつも厨房にいた小父さんはもう引退しただろうか。いい加減な計算によれば、たぶんもう70歳くらいにはなっているはずだ。すると今は娘さんか息子さんがお店を継いでいるのだろうか。たしか当時娘さんが中学か高校くらい、息子さんが小学生くらいで、いつも二人で配膳を手伝っていたのを思い出す。</p>
<p> </p>
<p>店に入ると、客はまだいなかった。</p>
<p>店の中は昔の記憶よりも何だかこぎれいな感じだ。「いらっしゃいませ」と声をかけてきたのは年配の女性。厨房の中にも同じくらいの年格好の女性がいる。どちらも顔に見覚えはなかった。</p>
<p>案内されるまま四人掛けのテーブルに腰を降ろしながら考える。</p>
<p>すでに彼女らは引退し、その際に店を譲ったのだろうか。とすると、あの子たちは後を継がなかったということになる。まあ、あれから30年も経っているのだ。まだ店がなくなっていないということだけでも奇跡に近いのかもしれない。</p>
<p>ぼくたちが座ってから次々と客が訪れ、やがて狭い店の中はいっぱいになった。何か事情を聞けるかなと思ったが、彼女たちは客の応対で忙しそうで、また何と聞いていいものやらよくわからず、結局聞けないままぼくたちは店を後にした。</p>
<p>懐かしい人たちには会えなかったが、料理は美味しかった。当時とはメニューから何から全然違っていたが、どこか体の芯が温まるような手づくり感は同じような気がした。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>自分の部屋に帰る娘と五差路で別れる。</p>
<p>娘はバイバイと手を振り、当たり前のように信号を渡って、自分のアパートへの道を帰っていく。</p>
<p>そこはかつてぼくたち夫婦が何度も歩き、何度も渡った交差点だった。そこは30年前ぼくたちの街であり、それはぼくたちの風景だったのだ。</p>
<p>その中を今はぼくたちの娘が、まるでずっと前からそこに住んでいるかのように自信に満ちて歩いていく。</p>
<p> </p>
<p>やがて信号を渡りきった娘の姿が、走り出した車の向こうに隠れる。</p>
<p>まだ名残惜しそうにそちらを眺めている妻を促すと、ぼくたちもまた歩きはじめる。中野駅の方へ。</p>
<p>今日から住む人がひとり減ってしまった我が家に向かって。RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.com日本, 東京都中野区35.7073985 139.6638354000000435.604248 139.50247390000004 35.810548999999995 139.82519690000004tag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-72589588915029716952015-08-10T02:07:00.001+09:002017-03-11T23:16:52.138+09:00「クラシック」と「パッヘルベルのカノン」<p>
(このエッセイは、所沢の音楽情報・タウン情報を提供する<a href="http://www.ptoko.jp/reader/index.php?TOPICESID=54" target="_NEW">ptoko.jp</a>に2015年6月に寄稿したものです。)
</p>
<br/>
<br/>
<p>昔、東京・中野にその名も「クラシック」という名曲喫茶があった。</p>
<br/>
<p>JR中野駅を北口に出て、サンモール商店街の雑踏をくぐり、中野ブロードウェイの何本か手前を適当に左へ折れる。中野通りとつながる路地の片隅に、ひっそりとその店はあった。</p>
<p>大学生の頃の話だ。その店を教えてくれたのは、親友のTだった。奴とは中学が一緒で、ともに浪人生活を送り、大学入学時に一緒に上京してきた。通う大学は違ったが、東中野に住む奴の下宿は中野のぼくのアパートからも近く、毎日のようにお互いの部屋を行き来していた。</p>
<br/>
<p>ドアを開けると、カランコロンと鈴の音がする。中は真っ暗だ。</p>
<p>なにやら人の蠢く気配と物憂いクラシックの音楽。それに立ち込めるタバコの煙。</p>
<p>しばらくして目が慣れてくると、右横におじいさんが立っていることに気付く。つまりそれがマスターで、そこが前金制のレジになっていた。</p>
<p>メニューは、コーヒーとオレンジジュースと紅茶の3つしかない。</p>
<p>50年(当時)変わらないフレンチコーヒーはまずく、粉末を溶かしたオレンジジュースは薬くさい。だから、ぼくはいつも消去法で紅茶を選んだ。</p>
<p>先に注文を済ませた奴は、横のリクエスト黒板になにやら書いている。2Fに登る階段に向かいながらひょいと見ると、汚い字で「パッヘルベルのカノン」と書いてあった。</p>
<p>その頃クラシックにまったく疎かったぼくは(今もたいして知らないが)、奴のリクエストではじめてその曲を知った。もっとも、Tにしてもぼくと大差はなかったはずで、たぶん他のクラシック曲はまったく知らなかったのだろう。奴がその黒板に書くのは、決まってパッヘルベルのカノンだった。</p>
<br/>
<p>すっかり暗がりに慣れた目に映る1Fはまるで物置小屋のような風情だが、きいきいと音を立てる階段を登った先の2Fはあたかも屋根裏部屋のようだ。</p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj7l_zQWiQt4ALkSSaq0CqFMDY7-F-veATzz-81Bg70QJxHu_uFfIPJePqdxMyI4vECcx5iGXB1UiDKjol_L1q36blxxkkkPZ1YxpZA0PjRShnI5Zgw1Pjk2ya5x4redTr8l2I7ntBq2_p3/s1600/classic1.JPG" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;">
<img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj7l_zQWiQt4ALkSSaq0CqFMDY7-F-veATzz-81Bg70QJxHu_uFfIPJePqdxMyI4vECcx5iGXB1UiDKjol_L1q36blxxkkkPZ1YxpZA0PjRShnI5Zgw1Pjk2ya5x4redTr8l2I7ntBq2_p3/s1600/classic1.JPG" />
</a>
</div>
<p>恐ろしく古めかしいスピーカー。金輪際動きそうもない年代物の扇風機。落書きで一杯の古いキャンバスの束。無造作に壁にかけられた油絵・・・。すべてがランプ(型の電灯)の光の下でうっすらと埃をかぶっている。高さの揃わない、あらゆる方向に傾斜した床を注意深く踏みしめながら、やっとの思いで空いた席に腰をおろす。</p>
<p>それとなく見渡すと、じっと見つめ合う恋人たち、低い声でぼそぼそと話し合う者、声高に議論する者、ひとり瞑想する者、そのまま眠ってしまった者・・・。</p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgW8pQjoSfr5_V5CQjLdqxJvMzVrnUPTA2o8fldGWWvPki0eqDrITkO1XJlOO3_tF0wC1KpHdJV6fja1ww0xfHjPuOKse9cBm14ApOsv3Qq-uTXmEl1JaMuVHC56-COMOat8eX7NAVhNpcN/s1600/classic2.JPG" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;">
<img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgW8pQjoSfr5_V5CQjLdqxJvMzVrnUPTA2o8fldGWWvPki0eqDrITkO1XJlOO3_tF0wC1KpHdJV6fja1ww0xfHjPuOKse9cBm14ApOsv3Qq-uTXmEl1JaMuVHC56-COMOat8eX7NAVhNpcN/s1600/classic2.JPG" />
</a>
</div>
<p>やがて女の子が注文を運んでくる。傾いたテーブルの上に置かれる紅茶のカップ。ミルク入れはマヨネーズの蓋だ。そして隣に置かれたお冷のコップはワンカップ大関の空き瓶。むしろ不思議なのは、注文を運んできた女の子だけがそれっぽい黒装束を纏うでもなく、きわめて普通のセーターを着た普通の若い女の子であることだ。</p>
<br/>
<p>ある日、Tとぼくはいつものように「クラシック」でパッヘルベルのカノンを聞いていた。</p>
<blockquote><p>「でもヨ」</p></blockquote>
<p>いつものように煙草をくゆらせ、埃だらけの空間を眺めながら、奴がつぶやく。</p>
<blockquote>
<p>「ここにもやっぱり、ホントの闇は存在しないんだよ、きっと」</p>
</blockquote>
<p>「そっか」としかぼくは言えなかった。</p>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh1rQYeMwFadXhqJtZP56XN3xgj5DrnEM8taZC5gbgwe5Qwbh6k83VGX0G-RjTuQ0F1TeUmSnUqIOoXaRXDvkpyE3U5ukrXY0_VrfPICQU4O04XobqFves0LQtte_wGjQqOXxu9KMI_2AOc/s1600/classic3.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;">
<img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh1rQYeMwFadXhqJtZP56XN3xgj5DrnEM8taZC5gbgwe5Qwbh6k83VGX0G-RjTuQ0F1TeUmSnUqIOoXaRXDvkpyE3U5ukrXY0_VrfPICQU4O04XobqFves0LQtte_wGjQqOXxu9KMI_2AOc/s1600/classic3.jpg" />
</a>
</div>
<p>ぼくはたぶん表面的なものしか見ていなかったのだろう。当時、DCブランドとカフェバーが席巻していた80年代の街はどこか祝祭的な気分に覆われ、キレイでオシャレであることが価値のようになっていた。そういう記号論的な風景の中で、ぼくはひとつのアンチテーゼを、つまりまた別の記号を「クラシック」に被せていただけだった。</p>
<p>だが、大学でアングラ演劇にのめりこみ、後に唐十郎が状況劇場を解散して劇団唐組を旗揚げした時そこに飛び込んでいったTの目には、きっと別のものが映っていたに違いない。</p>
<br/>
<p>そんな風にTと「クラシック」に通ったり、奴の部屋で麻雀をしたり、大学には行くものの教室には向かわず、サークルのたまり場に行ってギターをかき鳴らしたり、という毎日を繰り返すうちに、卒業が近づいていた。</p>
<p>どうにかこうにか就職先を見つけ、どうにかこうにか書き上げた卒論を提出するため、久しぶりに大学へ行ったのは晴れた暖かい日だった。</p>
<p>キャンパスに人影は少なかった。文学部のスロープを登り、事務棟の方へ歩いていくと、どこからともなくバイオリンの静かな音色が聞こえてきた。誰が弾いているのか、それはパッヘルベルのカノンだった。</p>
<p>それは祝福のようであり、また訣別のようでもあった。</p>
<p>無事卒論を提出して、ふたたびスロープを降りる頃にはバイオリンの音色はもう聞こえなくなっていた。</p>
<p>これで大学生活も終わりだなと、そのとき思った。</p>
<br/>
<p>・・・</p>
<br/>
<p>就職してからも「クラシック」には通っていたが、やがてTは荻窪に越していき、会うこともめっきり減った。ぼくの方も結婚して所沢に引っ越してからは、ずっと中野にも「クラシック」にも行っていない。</p>
<p>その後、ネットで知ったところによると「クラシック」は2005年に閉店したそうだ。創業者のおじいさんが亡くなって娘さんが後を継いだ(その時トラック数台分のゴミを運び出したという)のは知っていたが、その娘さんも亡くなり、営業を続けられなくなったそうだ。</p>
<p>さらに、今回この記事を書こうと思ってふたたびネットを調べたところ、「クラシック」で働いていた若い女性スタッフ2人が調度品やレコードを譲り受け、高円寺に名曲喫茶「ルネッサンス」を開店したという。そして、コーヒーとジュースと紅茶の3種類しかないメニューは正しくルネッサンスに継承されているらしい。</p>
<br/>
<p>いつかその店にまたパッヘルベルのカノンを聞きに行きたいものだ。もう20年以上会っていないTとともに。</p>
<br/>
<dl>
<dt><b><p>【参考資料】</p></b></dt>
<dd>
<ul>
<li>ホンモノの名曲喫茶--クラシック(東京都中野区)
<a href="http://www38.tok2.com/home/intermezzo/cafe/cafe_classic.htm" target="_NEW">http://www38.tok2.com/home/intermezzo/cafe/cafe_classic.htm</a></li>
<li>中野の閉店した名曲喫茶の遺伝子健在!高円寺「ルネッサンス」の独特の時間を過ごしてみた
<a href="http://news-act.com/archives/37087858.html" target="_NEW">http://news-act.com/archives/37087858.html</a></li>
</ul>
</dd>
</dl>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-72916115485075513892015-03-12T23:49:00.000+09:002017-03-11T23:20:44.483+09:00思秋期<iframe width="508" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/WgwzkQX35jg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
<br/>
<br/>
<p>ステージには「スナック窈」と書かれた行灯が置かれている。</p>
<br/>
<p>しずかにイントロがはじまる。</p>
<p>ピアノの旋律に、生ギターの音が絡み合う。</p>
<p>ストールに座った一青窈にスポットが当たり、歌い出す彼女の声は情感たっぷりな、いわゆる一青節だ。</p>
<br/>
<p>その歌は、往年の名曲「思秋期」。かれこれ30年近く前(1977年)に岩崎宏美が歌った曲だ。詞は阿久悠、曲は三木たかしのゴールデンコンビ。</p>
<blockquote>
<p>誰も彼も通り過ぎて</p>
<p>二度とここへ来ない</p>
<p>青春はこわれもの</p>
<p>愛しても傷つき</p>
<p>青春は忘れもの</p>
<p>過ぎてから気がつく</p>
</blockquote>
<p>岩崎の透明でまっすぐな歌い方を聞き慣れた耳には、こぶしの効いた一青の歌唱は受け入れ難いかも知れない。</p>
<p>だが、青春をはるかに通り過ぎた場所からいま振り返って聴けば、彼女の歌声はむしろぐっと来るものがある。そしてまた同時に、阿久悠の才能にあらためて気づかされる。</p>
<br/>
<p>YouTubeのこの映像は、2010年にパルテノン多摩で行われた一青窈のコンサートで収録されたもので、往年の歌謡曲を集めたカバーアルバム「歌窈曲(かようきょく)」に、初回限定生産特典として同梱されたDVDに納められている。</p>
<br/>
<p>歌の終盤、一青は床に置かれたグラスを持ち上げ、大事に抱きかかえるように歌う。</p>
<blockquote>
<p>ひとりで紅茶のみながら</p>
<p>絵はがきなんか書いている </p>
</blockquote>
<p>そして、観客席に向かってそれを高く掲げる。</p>
<blockquote>
<p>お元気ですか皆さん</p>
<p>いつか逢いましょう</p>
</blockquote>
<p>そう言えば、この時の彼女のコンサートツアーには「おかわりありませんか」というタイトルが振られていた。</p>
<p>それは、彼女のコンサートを訪れた観客への挨拶の言葉であるとともに、「通り過ぎていった」人たちへの挨拶の言葉であったのかもしれない。</p>
<br/>
<br/>
<p>ところで、この歌とはおそらくなんの関係もないが、思春期に対して「思秋期」ということばが最近、中年期特有の不安定な心理状態を表す概念として提起されているらしい。</p>
<br/>
<p><a href="http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20131106/371984/?rt=nocnt">「思秋期」をどう生きるか?(和田秀樹 サバイバルのための思考法)</a></p>
<br/>
<p>そうしてみると、この歌を聴きながら感慨に耽っている自分の行為そのものが「思秋期」特有の心理に沿っているようでもあって、面白いといえば面白い。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-36454363262904519222015-02-08T21:48:00.000+09:002017-02-04T01:15:41.555+09:00未来からのLINEメッセージ<p>土曜日、深夜1時。渋谷。</p>
<br/>
<p>ようやく仕事が終わって、駅前からタクシーに乗る。行き先を告げて座席にもたれかかると、娘からLINEのメッセージが入る。</p>
<br/>
<p>タクシーでの帰宅は何年ぶりだろう。</p>
<p>思えば、独身の頃は仕事で遅くなることが多く、タクシーでの深夜帰宅もざらだった。しかし、結婚し、子どもが生まれ、そして子どもが成長するにつれ、深夜のタクシーに乗る機会は大きく減っていった。</p>
<br/>
<blockquote>
<p>いまどこ?</p>
</blockquote>
<br/>
<p>娘からのメッセージは、だからどこか異次元の世界から届いたような、あるいは時を超えて未来から着信したような不思議な感覚を届けてくる。</p>
<p>独身時代に乗ったタクシーの匂いを身体が覚えている。タクシーの後部座席に疲れた頭をもたせかけた瞬間に、気持ちはあの頃のそれに戻っている。</p>
<br/>
<p>あれから30年も経って、結婚して子どもがいるなんて、あの頃はまったく想像もしていなかった。まして、娘が大学生になっていて深夜のスマートフォンにメッセージを送ってくるなんて考えもつかなかった。</p>
<br/>
<blockquote>
<p>渋谷からタクシーに乗ったとこ。ママは?</p>
</blockquote>
<blockquote>
<p>会合で遅くなるって</p>
</blockquote>
<br/>
<p>それから何度かやりとりをして、スマホを閉じる。</p>
<p>クルマは井ノ頭通りを離れ、山手通りへと入っていくところだった。</p>
<p>自宅に着くまではまだ1時間くらいかかるだろう。ぼくは再びシートに頭をもたせかける。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-34581080312970259582014-08-24T01:55:00.000+09:002015-02-11T21:05:27.181+09:00靖国のほとりで<P>夕暮れ。</P>
<br />
<P>帰るまでにあとひと仕事、いやあとふた仕事くらいか?を片づけようと、エレベーターに乗る。まずはコンビニでパンでも買って来ようと、外へ出る。</P>
<br />
<P>灼熱の中で、一日中光合成に励んでいた靖国の杜は、その刻(ころ)になるとまるで吐息のように濃い匂いを発散し、かえって日中よりも存在感を増していくかのようだ。</P>
<P>葉裏に潜む闇が一分一秒ごとに濃くなり、しだいに靖国通りは秘密に充ちた気配に覆われていく。</P>
<br />
<P>昔あるクライアントに言われた。</P>
<P>広告会社の人たちは皆楽しそうに仕事してますよね、と。</P>
<br />
<P>マーケティング部門でプランニングをやっていた頃は、今よりずっと帰りは遅かったが、毎日が楽しくてしかたがなかった。</P>
<P>それから管理部門に移ったが、さすがにこの歳になってくると、楽しいとばかりも言っていられない。</P>
<P>それでも、若い頃に広告の現場で教えられたのは、相手の心にどうやって想いを届け、そこに理解や共感を形づくるかということだ。</P>
<br />
<P>どんな仕事をやっていてもそこは変わらない。</P>
<P>そして、誰かに何かを伝えること、相手の心に結像するイメージを想定しながらメッセージをコントロールすることは、永遠にむずかしい。</P>
<br />
<P>だから、いつまでもやめられないのだろう。</P>
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj_6HDk9uSrhWSH8aoOOINhyphenhyphen9cFFC4KrdLFV3veIp0pF2dkAgzxHEaW4mlmGNZi-8l0wP1_c0x2qdkHvoEq3le9K-anUVlfZKZLusE0VGjqwn-UwIozvXkmkYtgqN1Ceg1jDvJqyasBMJrn/s1600/%E9%9D%96%E5%9B%BD.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj_6HDk9uSrhWSH8aoOOINhyphenhyphen9cFFC4KrdLFV3veIp0pF2dkAgzxHEaW4mlmGNZi-8l0wP1_c0x2qdkHvoEq3le9K-anUVlfZKZLusE0VGjqwn-UwIozvXkmkYtgqN1Ceg1jDvJqyasBMJrn/s320/%E9%9D%96%E5%9B%BD.jpg" /></a></div>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-69874528993432262942014-07-07T19:12:00.002+09:002017-02-04T01:15:56.673+09:00父を送る<p>ふと思いついて、父の名をネットで検索してみる。<br>
</p><p>ダメもとのつもりだったが、明らかにそれとわかるものがいくつか引っかかる。いずれも、10年から15年前、まだ元気だった頃に応募したと思われる懸賞の入選作のようだ。</p>
<br>
<p>父はフリーのグラフィックデザイナーをやっていた。カレンダーや紙袋、包装紙なんかのデザインを依頼されて、民芸調のイラストデザインを描いていた。</p>
<p>贔屓にしてくれるお得意さんも幾つかあったようだが、一見さんお断りの頑固な商売を貫いていたので、収入は決して安定していなかった。</p>
<h3>訃報 2014/3/20 9:36</h3>
<p>通勤の地下鉄のなかで、不意に携帯が鳴る。</p>
<p>いったん保留にして地下鉄を降り、電話を取ると動揺した母の声。</p>
<p>それから会社に行き、最低限の仕事を片づける。新幹線と在来線を乗り継いで四国の実家にたどり着く頃には、時計はすでに深夜を回っている。</p>
<p>白い布をめくると、父は口を開いたままで、まるで眠っているようだ。それでいてその気配は、かつてそこに宿っていた何者かがすでに去って、彼がもうこの世の人ではなくなったことを告げている。</p>
<br>
<p>かなしみはなかった。</p>
<p>もうずっと前から、ぼくの中では父はいないも同然の存在だったから。</p>
<br>
<p>…</p>
<br>
<p>ぼくが子どもの頃から、父は何か気に入らないことがあると、ある日を境に突然口をきかなくなる人だった。そのまま何日、何週間どころか、何年もそんな状態が続くこともあった。</p>
<p>父は家を仕事場にしていたから、口をきかない父がいる家の中はとても気詰まりで、母との会話さえも躊躇われるほどだった。</p>
<p>父が口をきかなくなると、ぼくはいつも訳がわからず、ただ突然に自分が拒絶されてしまったという感覚だけを蓄積させていった。</p>
<br>
<p>ぼくが結婚してからも父のそんな性向は変わらなかった。上の子どもがまだ小さかった頃には、帰省したぼくたちを機嫌よく迎えてくれた父だったが、やがて帰省しても口を利いてくれなくなり(何が原因だったのかは相変わらず不明だった)、そのおかげでぼくたち家族はすっかり父母の家とは縁遠くなっていった(妻の実家が九州なので、帰省と言えば四国を素通りして九州へ往復する年が何年も続いた)。</p>
<p>そんな訳で、父とはもう10年くらい口をきいていなかった。</p>
<h3>段取り 2014/3/21 00:45</h3>
<p>それから葬儀社に電話をかける。1、2時間程でやってきた葬儀社のクルマに父の遺体を乗せると、同じクルマでぼくたちは葬儀社まで行き、あれこれ打合せをする。</p>
<p>葬儀社が出してくるさまざまなオプションを、ぼくは全部断っていった。耳の遠くなった母は、会話が聞き取りにくいこともあって、「任せるわ」とだけ言って傍らで静かに聞いている。</p>
<p>父にはすでに親戚も友人もない。母の親戚はみな東京近辺にいるが、ある事情から最近はすっかり縁遠くなっている。だから弔問客はいない。父も母も、ぼくも無宗教だからお坊さんは呼ばない。もちろんお経も要らない。</p>
<p>一般的な葬儀につきもののあらゆる要素を取り払っていくと、残ったのは出棺と火葬だけだった。葬式なんかやるなと昔から言っていた父も、これなら少なくとも文句は言わないだろう。そして、残されたぼくたちも、余計なものに邪魔されることなく静かに父を見送ることができる。</p>
<p>通夜さえも省略し、ぼくたちは父の遺体を葬儀社に預けると、家に帰る。</p>
<p>けれども、帰りのタクシーでぽつりと母が言う。</p>
<p>「2人だけで見送るのは淋しいなあ」と。</p>
<p>だから、ぼくは所沢の家で待機している妻と子どもたちを呼び寄せることにする。</p>
<h3>集合 2014/3/21 17:39</h3>
<p>夕刻、改札口で妻と子どもを待つ。</p>
<p>ホームは高架式になっていて、改札からは見えない。上の方で電車が到着し、また出て行く音が聞こえる。</p>
<p>やがて、ホームから降りてくる階段に決して多くはない客の姿。それに紛れてまず妻と、そして今はすっかり妻と肩を並べるくらいに大きくなった娘の姿が現れる。ぼくを見つけた娘が大きく跳び上がるように手を振る。妻が笑顔で手を上げる。その後から、少しはにかんだような顔で息子の姿が現れる。</p>
<p>そのとき不意に涙がこぼれそうになった。</p>
<p>若さというものがこれほどに人の心を救うものだと、そのときぼくははじめて知った。</p>
<p>やがて改札を通り抜けた現在と未来とが、立ち尽くすぼくに抱きついてきた。</p>
<br>
<p>…</p>
<br>
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<p>全員で実家に集まる。</p>
<p>母が、父の形見のカードホルダーを何冊か出してきた。</p>
<p>そこには、この何年かの間に父が書き溜めていたイラストが収められている。</p>
<p>机に向かうことができず寝たままで描いたせいか、それとも色鉛筆で描いているせいか、それは昔よく父が描いていた民芸調ではなく、どこかポップな趣のイラストだ。</p>
<p>歳をとって若い頃の気持ちに戻ったのか、それとも別の境地を開拓したのか、いずれにしても親父はほんとうに絵が好きだったんだなとそのとき気づく。</p>
<p>同じく絵が好きな娘が、気に入ったイラストを次々とスマートフォンのカメラに収めていく。絵に対する父の嗜好は、ぼくを経由して間違いなく娘に引き継がれたようだ。</p>
<br>
<p>川柳を趣味にしていた父は、いくつかのイラストに判じ物のように自分の川柳を描き込んでいた。高度にデフォルメされたその文字はなかなかわかりづらかったが、誰かが解読できるたび声を上げ、ぼくたちはいつかほとんどの絵を解読していた。</p>
<p>そのカードホルダーは、死ぬ1週間くらい前に父から手渡されたのだという。「おれはおまえをしあわせにしてやれんかった」という言葉とともに。</p>
<p>そんなこと結婚してはじめて言われたと母は笑う。</p>
<br>
<p>…</p>
<br>
<p>実は、父が逝く一月半ほど前、ぼくは母の手術のために実家に帰っていた。</p>
<p>父との会話の断絶と通信環境のあまりの悪さにうんざりしていたぼくは、実家には泊まらず、病院から近いホテルに宿をとった。</p>
<p>手術が無事終わった後、東京へ帰る前に一度実家に立ち寄った。母は入院の前に、父が食べるパンや牛乳やお粥類を買い貯めていたが、それらの消費状況を見ておこうと思ったのだ。</p>
<p>思いのほかパンがなくなっていたのと、牛乳の賞味期限があやしかったので、近くのスーパーで買い増しして実家に戻った。</p>
<p>最後に家を出る直前、一応母の手術の成功を伝えておこうと、返事があるかどうかはわからなかったが、寝ている父に声をかけた。</p>
<p>すっかり耳が遠くなった父はなかなか目を覚まさなかったが、何度目かの呼びかけで目を開いた。ぼくは父の耳もとで手術は成功したよと告げた。大きな声で何度か繰り返すと、父は「ほうか」とうなづいた。本当に理解したのか、理解することを諦めたのかはわからなかったが。</p>
<p>続けて「パンを補充しといたぞ」と告げた。また何度目かで父はうなづき、ぼくを見ると「ありがとう」と言った。</p>
<br>
<p>今思えば、それは10年ぶりの父との会話だったが、同時に父がぼくに向かって発した最初で最後の「ありがとう」だった。</p>
<h3>出棺 2014/3/22 10:00</h3>
<p>父の遺体を収めた柩に、ぼくたちは順に花を入れていく。</p>
<p>母が最後に、もう使い手のいなくなった色鉛筆を入れる。</p>
<p>それで終わりだった。読経も、多勢の参列者もなく、しずかに父の葬儀は終わった。ぼくたちの望んだとおりに。</p>
<br>
<p>そして、父を載せた車は、春の日差しが降り注ぐ郊外への道を延々と走り続ける。</p>
<p>やがて山あいに差しかかる頃、緑に抱かれた水面が不意に目に入る。空の青が水面に溶けて色をなくし、かたちを崩して揺れている。水面は、まるで百万年前もそして百万年後もずっとそうしているかのように、ただ静かに揺れながらそこにあった。</p>
<br>
<p>永遠の中で、ぼくたちは生まれ、やがて年老いて、次の世代に何かを託す。子どもたちは新たな力でそれを引き継ぎ、育んでいく。</p>
<p>父が過去となり、ぼくと妻が現在であるならば、子どもたちは未来だ。すべてが移ろい去っていく中で、ここにある現在と、そして未来にぼくは感謝する。</p>
<br>
<p>…</p>
<br>
<p>不謹慎かもしれないが、父が逝ってから、母の声が明るくなった。</p>
<p>これまでは父の世話でなかなか遠出もできなかったが、これからは少し遠くまで足を伸ばしてみようかと、電話の向こうで母は笑う。</p>
<p>一般に、夫をなくした妻は長生きするそうだ。母にはせめて長生きをしてほしいと思う。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-33233565611147772692014-02-15T01:44:00.001+09:002015-02-11T21:02:30.331+09:00夢のあと<p>母の手術で四国に帰った。</p>
<br>
<p>父と母が住む実家はいま、ぼくの生まれ故郷から30キロほど離れた町にあり、母の入院する病院もそこにあるのだが、市役所に行く用事があって久方ぶりに生まれ故郷の町を訪れた。</p>
<br>
<p>大学入学、就職、結婚とステージが進むにつれ故郷からは足が遠のき、とりわけ実家が引っ越してからはほとんど帰っていなかった。たまに立ち寄ることがあっても、足を踏み入れるのは町のほんの限られたエリアにすぎなかった。</p>
<p>市役所までは普通に歩けば駅から20分程度の道なのだが、それを大幅に遠回りして、下町のかつて住んでいたところ、小学校までの道、それからぐるっと回って、かつて日本一の長さを誇ったアーケード街をめぐって歩いた。</p>
<br>
<br>
<p>久しぶりの故郷は、歩くほどに思い出が襲ってくる。</p>
<br>
<p>考えてみれば、町を出てから30年がたっている。その間に町は姿を変え、それでもひとつひとつ訪ねていけば変わらない風景もあり、むしろ変わってしまった姿がかえって昔の佇まいを呼び起こす風景もある。</p>
<p>いずれであれ、そこにはいつも人の記憶があった。さまざまな人の記憶が場所とセットになって埋まっている。亡霊のように、それはぼくが歩くたびそこかしこから甦ってくる。</p>
<br>
<p>みんなどこに行ってしまったのだろう。自分のことは棚に上げて、ぼくは心の中でそう呟く。</p>
<p>彼らの多くがすでにこの町にはおらず、中には行方知れない者もいる。逆に今でもソーシャルネットワークでつながっている者もいる。その意味では、亡霊は人ではなく、人との関係性の方なのだ。かつてこの町で息づいていた関係性はもはやみんな死に絶えて、ぼくはその廃墟を訪ね歩いているかのようだ。</p>
<br>
<p>そういえば、学生時代に雑誌づくりの仲間としょっちゅう入り浸っていた喫茶店はどこだったのか。アーケード街を歩きながら、曲がり角ごとにぼくは横丁を覗きこみ、ある場所でこの辺かと見当をつけて曲がってみる。</p>
<p>しかし、50メートルほど歩いてみても建ち並ぶ建築群のほとんどはすでに見慣れないものに変わっていて、そのいずれかが目指す喫茶店の跡なのか、そもそもその道が正しかったのかどうかさえも判別できなくなっている。</p>
<br>
<p>あきらめて踵を返した時、目に飛び込んできた風景にぼくは見当識を失った。</p>
<p>横丁の方から人々が行き交うアーケード街を望むその風景は、見慣れない建築群の中で思いがけず出会う往時のままの風景だった。それはまるで今日まで途切れることなく見続けてきた風景であるかのように、ごく自然にぼくの視界に飛び込んできた。</p>
<p>夕暮れの薄闇が忍び寄る中で、ぼくはいま自分が立っているのが30年前の今日のこの場所なのかそれとも30年後の今日のこの場所なのか、にわかにわからなくなっていた。</p>
<br>
<br>
<p>町を後にする頃にはとっぷりと日が暮れている。</p>
<br>
<p>その時間になると、町はすっかりよそよそしく、夜の帳は見知らない旅人のようにぼくを包む。</p>
<p>駅舎もまたすっかり変わってしまった風景のひとつだった。昔の名残を探そうにも、建物自体がかつての場所からは300メートルほどもずれたところに立っているのだ。</p>
<p>改札を越える時、ふと懐かしい匂いに誘われて目をやれば、讃岐うどんの店が構内にある。それはまだ瀬戸大橋が開通する前、ぼくたちが連絡船で瀬戸内海を渡っていた頃に、いつも船上で潮風に吹かれながら食べていたあのうどん屋さんだった(そこにもまたいくつかの人の記憶があった)。</p>
<br>
<p>昔はなかった電光掲示板が発車時刻を示している。面会時間が終わるまでに病院に着くには、もう列車に乗る時間だ。</p>
<p>ぼくはホームの方へ歩き出す。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-85158937456439907832012-06-26T00:50:00.002+09:002017-03-11T23:17:53.503+09:00所沢まち歩き<p>ゴールデンウィークのある晴れた一日、所沢のまち歩きイベントに参加した。</p>
<br />
<p>所沢市中心市街地活性化の拠点になっている野老澤町造商店(ところさわまちづくりしょうてん:通称まちぞう)を起点に、旧市街地をずっと歩いてくるというイベントだ。明治15年開業の地元の老舗割烹「美好」で食べる昼ごはんをはさんで5時間くらいのツアーだった。</p>
<br />
<p>ちなみにその様子はコチラ(一緒に歩いた所沢市役所の肥沼さんのブログ)</p>
<p><a href="http://blog.livedoor.jp/tokorosawamachi/archives/1457175.htm">http://blog.livedoor.jp/tokorosawamachi/archives/1457175.html</a></p>
<br />
<p>住宅街の中を歩きながら主宰者の三上さんが言う。</p>
<p>「ぼくが子どもの頃この辺はずーっと畑が広がっててね。ちょうどこの道はぼくが自転車の練習をした道なんだ」</p>
<br />
<p>彼は今年75歳だそうだから、それは戦争が終わる頃の話だろうか。</p>
<p>ぼくたちが歩いていたのはなんの変哲もない家並に囲まれたアスファルトの道だったが、そのときぼくには子どもの頃の彼が畑に囲まれた一本道を自転車に乗って走っていく姿が見えるような気がした。</p>
<p>ふと、昔読んだ井上靖の「あすなろ物語」や「しろばんば」をもう一度読みたくなった。</p>
<br />
<p>後日、「空から見た所沢」という写真展を見に、再びまちぞうを訪れた。</p>
<p>パネルに掛けられた沢山のセピア色の写真の中に、一枚ぼくの目を引く写真があった。それは大正時代の所沢駅周辺の写真だったが、駅から少し離れた場所に畑が広がり、一本道が伸びているところがあった。それがどうやらこの間三上さんと一緒に歩いた道のようだった。思わず三上さん(彼はここでボランティアをやっている)を呼んで</p>
<p>「ここですよね。この間三上さんが言ってた道。この辺はずっと畑だったんだって言ってたとこ」</p>
<p>三上さんは写真を覗き込むと</p>
<p>「そうそう、この道でぼくは自転車の練習をしたんですよ」</p>
<p>と懐かしそうに言った。</p>
<br />
<p>結婚してから所沢に引っ越してきた。</p>
<p>最初のうちは通勤がたいへんだなあと思っていた(それまで住んでいた中野は会社まで30分だったが、今は90分かかる)が、住むうちに緑が多く人々の距離感もちょうどよくて、住みやすい町だと思うようになっていた。それでもあいかわらずどこか仮住まいのような気がしていた。</p>
<p>しかし、考えてみれば住み始めて今年でもう20年。いつのまにか生まれ育った四国高松の町よりも長く住んでいることに気づいた。</p>
<p>そういう意味ではぼくもすでにこの町の歴史の一部に組み込まれている。</p>
<br />
<p>歴史の積み重ねって大事だよなあと思う。つまりそれが「文化」だからだ。</p>
<p>文化とは、結局人々がそこに生き、日々を暮らしたという事実そのものなのだろう。その堆積がかたちとなって、知らないうちにぼくたちの現在の生活を彩り、ゆたかな気配を与えてくれている。</p>
<br />
<p>そして、そのことを伝えていくということも、また大切な仕事だと思う。</p>
<br />
<br />
<p>「まちぞう」オフィシャルサイト</p>
<p><a href="http://www.snw.co.jp/~machizou/">http://www.snw.co.jp/~machizou/</a></p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-19159429030862809272011-11-22T23:47:00.002+09:002015-02-11T21:06:11.401+09:00夜風と選挙と自転車<p>「今から来れない?」</p>
<br />
<p>妻からメールが届く。</p>
<br />
<p>ちょうど市長選の投開票の日だった。知人の選挙事務所を手伝っている妻は、夕食の後そろそろ最初の速報が出る頃だと言って出かけて行ったのだった。</p>
<p>しかし開票は少し遅れているらしい。手持ち無沙汰になった妻は、どこかでお茶でもして時間をつぶさないかと言ってきたのだ。</p>
<br />
<p>クルマのキーを持って外へ出ると、夜風が首筋を撫でる。</p>
<br />
<p>「今から来れない?」</p>
<br />
<p>ふと、20年くらい前に聞いた同じ言葉が甦る。あの日電話の向こうで同じ言葉を囁いたのは、まだ結婚する前の妻だった。</p>
<br />
<br />
<p>ぼくは借り物の自転車を引っ張り出すと――それは鳥山昌克がぼくのアパートに置きっぱなしにしていったサイクリング車だった――彼女の住む街まで走った。</p>
<p>その頃ぼくのアパートは中野にあって、彼女は下井草に住んでいた。自転車で行けば30分くらいの距離だったろうか。</p>
<p>夜ももうかなり遅い時間だった(そうでなければ電車で行っただろう)。自転車を漕ぐぼくの周りをすきま風のように夜風が過ぎていった。</p>
<br />
<p>それにしても、鳥山――今では唐組のナンバーツーになっている――は何故そのサイクリング車をぼくのアパートに置きっぱなしていったのか。それは、奴が同じアパートに住んでいる東大生から譲ってもらったものだった(その東大生が卒業して大阪に帰る時、ぼくたちはテレビやら自転車やら何やらを譲ってもらっていた)。</p>
<br />
<p>ぼくたちは中野のぼくのアパートから東中野の奴のアパートへ、またその逆へと大学の4年間に何百回と行き来していたが、そんなある日問題の自転車を押しながら深夜の路上を歩いていると、警官の職務質問に引っかかったことがあった。</p>
<p>そもそもその警官はどうしてぼくたちを見咎めたのだろう。風体に問題があったのか、それともぼくたちの人相がそれほど怪しかったのか、「それは本当にキミの自転車なのか」とずいぶんとしつこく質問された記憶がある。</p>
<p>権力に反抗的だったぼくたちが、つい「キミの、とは何をもってそういうのか、そもそも所有という概念についてあなたはどのように考えているのか。所有しているということの定義はどうで、所有していないということの判断はどのように生まれるのか」などと哲学談義をふっかけたりしたものだからいっそう警官を不審がらせたのかもしれない(と言うかそれ以外にないだろう)。</p>
<br />
<br />
<p>クルマを走らせている途中で、またメールが入る。開票速報が出たらしい。</p>
<br />
<p>「どうやら当選みたい」</p>
<br />
<p>事務所の近くにある西友の駐車場にクルマを置いて歩いていくと、急ぎ足でぼくの前を行くスーツ姿の男が二人。大柄な後ろ姿に見覚えがある。どうやら新市長らしい。その身体が、そこだけ明々と明かりの灯った事務所の入り口に吸い込まれて行ったと思うと、大きな拍手が聞こえた。</p>
<br />
<p>現職二期目の与党候補を向こうに回した選挙戦は、野党側が候補者を絞りきれず分裂選挙となっていた。出馬表明の遅れた新市長の陣営は、所属する野党の公認は取り付けたものの、つい半年前にトップ当選したばかりの県議会の議席を投げ打っての出馬に批判の声もあり、なかなかに苦しい戦いとなっていた。</p>
<br />
<p>しかし、勝負は速報が出ると同時に決まったようだった。あとで見ると相当な接戦だったようだが、東京のベッドタウンという土地柄でいつも同様低かった投票率が決着を早めたのかもしれない。</p>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgKES3VgzcRHmR9wdCOg9PF2drhIdYPgBvUDE8urQjg6rPvtzEeeuxRB7c4XVShzeOMRBA1YGMB0Vdkd4lWzRZW_mI2yzqEwyea56rc8XfCgUGPj3yds2FMrpuZUZJnuqi5RcMGS8mexR1T/s1600/312618_291686550855655_100000429363477_1116003_470407245_n.jpg" imageanchor="1" style="clear:left; float:left;margin-right:1em; margin-bottom:1em"><img border="0" height="240" width="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgKES3VgzcRHmR9wdCOg9PF2drhIdYPgBvUDE8urQjg6rPvtzEeeuxRB7c4XVShzeOMRBA1YGMB0Vdkd4lWzRZW_mI2yzqEwyea56rc8XfCgUGPj3yds2FMrpuZUZJnuqi5RcMGS8mexR1T/s320/312618_291686550855655_100000429363477_1116003_470407245_n.jpg" /></a></div><br />
<p>人垣越しに覗くと、妻はすでにお祝いに駆けつけた人々の応対に大わらわで、もはや隙をつぶすどころではなくなっている。</p>
<p>地元の国会議員やら名士やらがたくさんやって来て、なんとなく気後れしたぼくは歩道のガードレールに腰を下ろす。たまたま通りかかった選挙事務所の顔見知りの人がぼくにも握手を求め、「素人集団が選挙のプロに勝ったよ!」と興奮気味にしゃべっていく。そういう風に捉えたことはなかったが、事務所の面々を思い浮かべるとたしかにそうなのかもしれないなと思う。前回の県議選では事務所に掲げる当選の花輪づくりをぼくが手伝ったくらいだから。</p>
<br />
<p>夜風が往来の途絶えた駅前通りを渡り、熱気の醒めやらない選挙事務所とそこにたたずむぼくたちの背後を吹きすぎて行く。</p>
<br />
<br />
<p>つい最近鳥山昌克から電話があった。</p>
<br />
<p>「ブログに書き込みくれただろ。それで電話してみた」</p>
<br />
<p>奴のブログをちょっと前に偶然見つけていたのだが、池袋で墓守(!)をすることになり引っ越すことにしたという記事があったのでコメント欄に書き込んでおいたのだ。</p>
<p>奴が東中野から荻窪に越し、やがて結婚して国分寺に越してからぼくたちはめっきり会わなくなっていた。ぼくはすでに就職していたし、奴も唐組の旗揚げに参加して忙しくなっていた。</p>
<p>彼岸過ぎたら時間ができるから、と奴は言ってぼくたちの短い会話は終わった。彼岸過ぎたら遊びに来てくれと。</p>
<br />
<br />
<p>それからそろそろ2ヶ月がたつ。昔からの友人は、とりあえず元気だとわかっていればそれでよかったりもするのだ(^_^)v</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-35495319886454488292011-04-02T01:35:00.003+09:002017-03-11T23:17:24.725+09:00はじまりの日<p>今から思えば、それはある意味ではじまりに過ぎなかった。</p>
<h3>大地震</h3>
<p>3月11日午後2時46分。ガタガタと会議室の机が揺れはじめる。</p>
<p>クライアント筋でもある某通信キャリアの担当者が、ちょうどキャンペーン商品の説明をしている最中のことだ。</p>
<p>いつものようにすぐにやむかと思われたその揺れは、しかし時間とともにおさまるどころかむしろどんどん強くなっていく。</p>
<p>気がついたときには、もう立ち上がることもできないくらいビル全体が激しく揺れている。</p>
<br />
<p>何分くらい椅子にしがみついていただろうか。揺れがおさまるとともに、ビルの館内放送が入り、オフィスから人がわらわら出てくる。</p>
<br />
<p>その時にはまだ、ぼくたちの誰も事の重大さに気がついていない。</p>
<p>通信キャリアの担当者は中断していた説明を続けようとし、ぼくたちはそんな彼を制止すべきかどうか迷っている。</p>
<br />
<p>結局、繰り返される館内放送の避難誘導の声に押されるかたちでビルを出る。キャリアの担当者たちを見送りがてら、目の前にある靖国神社までぞろぞろと歩く。まるで抜き打ちの避難訓練のように。</p>
<p>ちょうど次に来た大きな余震の時だろうか、地面に立っているとそれほどの揺れでもないが、木立越しに振り返ってみるとビルとビルが互いにぶつかり合わんばかりに揺れている。誰かがつけたワンセグの画面には、圧倒的な高さの津波に飲み込まれるどこか東北の町が映っている。</p>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhHmRc_QCGtah88IJFYL0CfuhemUqSattSPFv5eDycrk1vv_luJ5dDl17kWxOV8d5tdOGg8KzpbCMH_58fho9n8-sTjB4sus15onEpBbue2VLs9BVfLsyxPZdY_1pJ_SshBwJzmjm5X8-ri/s1600/%25E9%259D%2596%25E5%259B%25BD%25E7%25A5%259E%25E7%25A4%25BE.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhHmRc_QCGtah88IJFYL0CfuhemUqSattSPFv5eDycrk1vv_luJ5dDl17kWxOV8d5tdOGg8KzpbCMH_58fho9n8-sTjB4sus15onEpBbue2VLs9BVfLsyxPZdY_1pJ_SshBwJzmjm5X8-ri/s320/%25E9%259D%2596%25E5%259B%25BD%25E7%25A5%259E%25E7%25A4%25BE.jpg" width="200" /></a></div><br />
<p>少しずつ事態が現実感を持って迫ってくる。</p>
<p>間断なく鳴り響く救急車のサイレンの音。すぐ近くの九段会館の天井が崩落したというニュース。</p>
<p>携帯回線は電話もショートメールもまったくつながらない。家族との連絡が取れないことに誰もがやきもきしはじめる。</p>
<p>午後早退していたS氏が電車の中に閉じ込められていることをFacebookの画面が伝えてくれる。同じく早退したN君は西武線が止まり、高田馬場に戻ってサイゼリヤで時間を潰しているらしい。</p>
<br />
<p>夕方が近くなって雨が降り出す。</p>
<p>「いったん荷物を取りに戻り、その後ただちにビルから退出するように」という指示がビルの管理事務所から出る。</p>
<p>オフィスに戻り、会社の固定電話で家にかけるとあっさりつながる。家族の無事を確認し、ひとまずほっとする。</p>
<br />
<p>次の問題はどうやって家に帰るかだ。電車はほとんど動いていないし、退出と言われてもすぐに帰れる手立てはない。ニュースサイトで交通機関の状況を調べると、JRは早々に本日中の全線運休を発表している。</p>
<p>一方、電車に閉じ込められていたS氏は線路の上を次の駅に向かって歩きはじめたようだ。N君はまだ高田馬場のサイゼリヤ。電話が通じにくい中、Facebookが人々の安否を確認する重要な情報源となっている。</p>
<br />
<p>そうこうするうち時間が過ぎ、結局オフィスを出たのはほとんどの社員が退出した19時近くだった。</p>
<h3>高田馬場へ</h3>
<p>「あれ?どうするんですか?」</p>
<br />
<p>オフィスを出ようとする背中に、総務のU氏が呼びかけてくる。ぼくの家が所沢だと知っているのだ。</p>
<p>「いやあ…」とぼくは答えに詰まる。</p>
<br />
<p>実は何も考えはなかった。</p>
<p>正確には、まずは高田馬場まで行こうとそれだけ思っていた。行けば何とかなるような気がしていた。</p>
<p>高田馬場は毎日通勤に利用している駅というだけでなく、学生時代から何かとなじみの深い場所だ。もし家まで歩く場合、高田馬場がその最短経路上にあるのかどうか正確なところはよくわからないが、そう大きくはハズレていないだろう。</p>
<p>JRはともかく、西武線はもしかすると動き出すかもしれないという期待もあった。</p>
<br />
<p>一方、総務の方では水道橋のホテルに部屋を何室か確保してくれていた。</p>
<p>普通に考えればその日はホテルに泊まり、翌日電車が動きはじめてから帰るのが正解だろう。なにしろ所沢までは30キロあるのだ。</p>
<p>実際東村山に住んでいるO氏などは早々にそっちに泊まることを宣言していた。</p>
<p>しかし、何故か自分でもよくわからなかったが、気持ちは高田馬場に向かっていた。とにかく家族のいるところに早く近づきたかった。</p>
<br />
<p>結局「考えます」と訳のわからない返事をしてオフィスを後にする。</p>
<p>荻窪に住んでいるS君が靖国通りをまっすぐ行くと言うので、途中まで一緒に歩くことにする(後から思えば靖国神社を突っ切って神楽坂に出、そのまま早稲田通りを行けば1キロは短縮できたのだが)。</p>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjmgjvQR2n9xnrVunkzm9lasZ_dI_lUdeZ4fSLRSRXpBFMpRnF23NEI0liKCFoRdg_Wb4KWN_EW5MEQWeYhhIjUQCDwZDj6G5LYDrasUTsZitZwD8TNRMl4HWAThc5SGTEWkvUz813k8kpI/s1600/%25E5%25B8%2582%25E3%2583%25B6%25E8%25B0%25B7.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjmgjvQR2n9xnrVunkzm9lasZ_dI_lUdeZ4fSLRSRXpBFMpRnF23NEI0liKCFoRdg_Wb4KWN_EW5MEQWeYhhIjUQCDwZDj6G5LYDrasUTsZitZwD8TNRMl4HWAThc5SGTEWkvUz813k8kpI/s320/%25E5%25B8%2582%25E3%2583%25B6%25E8%25B0%25B7.jpg" width="200" /></a></div><br />
<p>通りは、まるでお祭りの夜のように人で溢れている。東京中のすべての人が一遍に歩いているみたいだ。</p>
<p>市ヶ谷駅を過ぎ防衛省庁舎の前を通りかかると、巨大なヘリコプターがバリバリと夜を引き裂きながらゆっくりと庁舎ビルの屋上に着陸しようとしているのが見える。</p>
<br />
<p>曙橋のあたりでS君と別れ、東新宿方面へ斜めに折れる。急に人影が減り、それとともに寒さがふいに足元から登ってくる。</p>
<p>スマートフォンのGoogleマップで確認すると、そこからもう少し北に行けば、早大文学部キャンパスの南辺りに出るようだ。懐かしいが、回り道して寄っていく心の余裕はない。</p>
<br />
<p>さらに歩きつづけ明治通りに出ると、ふたたび人の数がどっと増える。歩道を歩ききれない人々が車道まではみ出しながら歩いている。</p>
<p>あまりの人の多さに辟易し、大久保二丁目まで北上した後しばらくして脇道に入る。</p>
<p>一本中に入ると、ふたたび人の姿がほとんど見えなくなる。まるで普段と変わらない閑散とした住宅街が、薄暗い街灯に照らされながらひっそりと続く。寒さのせいかだんだん尿意を覚えはじめる。</p>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhk-KR3wr0Au0CNpX2-soYg6iBh6eDAOBXtrRYnYrICt6AFD5MU_JXdGxvkZgiGuy5rzoKY4NYHg2XaCyeAhFur37TEqt3GMtaZ-aFyhCBqmcae_CaBwzyPfQUgDq6CoGqRy3VATG6PtzGJ/s1600/%25E8%25A5%25BF%25E6%2588%25B8%25E5%25B1%25B1%25E5%2585%25AC%25E5%259C%2592.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhk-KR3wr0Au0CNpX2-soYg6iBh6eDAOBXtrRYnYrICt6AFD5MU_JXdGxvkZgiGuy5rzoKY4NYHg2XaCyeAhFur37TEqt3GMtaZ-aFyhCBqmcae_CaBwzyPfQUgDq6CoGqRy3VATG6PtzGJ/s320/%25E8%25A5%25BF%25E6%2588%25B8%25E5%25B1%25B1%25E5%2585%25AC%25E5%259C%2592.jpg" width="200" /></a></div><br />
<p>やがて大きな公園に出る。</p>
<p>ここにも人影はほとんどない。公衆トイレを見つけ用を足して一息つく。Googleマップで調べると西戸山公園となっている。学生時代にはこのあたりまで来たことはなかったが、地図で見ると早大の理工学部キャンパスのすぐ隣のようだ。そこから高田馬場の駅まではそう遠くない。</p>
<br />
<p>時計を見ると20時過ぎ。オフィスを出てからすでに1時間半歩いていることになる。</p>
<h3>大渋滞</h3>
<p>高田馬場に出てみると、駅舎はシャッターを下ろし人々を締め出している。</p>
<p>電話ボックスの前に大勢の人が列をなしている。携帯回線は相変わらずまったくつながらなかったから、みんな公衆電話から連絡を取ろうとしているのだろう。</p>
<p>通り過ぎながら、何気なしにふとみると列の中にN君がいる。</p>
<p>「おーい」と手を振る。</p>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgnKlX30BavBru9A7ZDQaFgU9zqaLFspHisL_INlMXrupdPUbO8E6ixdCTwTGgn_IpnezeSsLSzdTcc18WtI_XhZEtzR7CqhCB6_Z5Lwyv4LLFMhaArId_u9bPtNeMlS2cn0HsGwPMFhva2/s1600/%25E9%25AB%2598%25E7%2594%25B0%25E9%25A6%25AC%25E5%25A0%25B4.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgnKlX30BavBru9A7ZDQaFgU9zqaLFspHisL_INlMXrupdPUbO8E6ixdCTwTGgn_IpnezeSsLSzdTcc18WtI_XhZEtzR7CqhCB6_Z5Lwyv4LLFMhaArId_u9bPtNeMlS2cn0HsGwPMFhva2/s320/%25E9%25AB%2598%25E7%2594%25B0%25E9%25A6%25AC%25E5%25A0%25B4.jpg" width="200" /></a></div><br />
<p>サイゼリヤを閉店で追い出されたらしい。奥さんがこっちに向かっていて、そろそろ着いてもいい頃なのだが、どうやら渋滞にはまっているようだという。</p>
<p>彼の家は武蔵関のあたりだ。「途中まで乗って行きますか」との言葉に、一も二もなく甘えさせてもらうことにする。</p>
<br />
<p>ちょっと前に妻から「クルマで迎えに行こうか」というメールが入っていたが、「様子を見てメールする」と答えてあった。道路が相当に渋滞していることはすでにネットでわかっていたし、とても都心までは来れないだろうと思われたからだ。何とか(歩いてでも)郊外に出て、そこからもう一度連絡を入れるつもりだった。</p>
<p>しかし、もしここで武蔵関辺りまで乗せてもらえればだいぶ距離が稼げる。</p>
<br />
<p>ほどなく彼の奥さんの運転するクルマがロータリーに到着する。</p>
<p>礼を言って乗せてもらう。妻にもメールを入れ、武蔵関辺りまで乗せてもらうと伝える。すぐに「クルマで迎えに出る」と返事が入る。</p>
<p>だが、クルマが動き出した瞬間に、ぼくは自分の考えが甘かったことを知る。</p>
<br />
<p>渋滞だということはわかっていた。だがその程度についてはまったく認識が甘かった。</p>
<p>早稲田通りに乗り入れたクルマは、10分たっても20分たっても10メートルも進まない。比喩ではなく明らかに歩いた方が早いくらいだ(歩くにはあまりにも距離がありすぎるのだが)。</p>
<p>妻からもふたたびメールが入ってくる。</p>
<p>所沢も大渋滞だそうだ。所沢ですでにクルマが動かないほどの渋滞なら、その先は推して知るべしだ。前途に垂れ込めていた暗雲が一気に濃くなってくる。</p>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiAolGOTTh_y01IpFcxTHdtPTYuSqyLwoVTjVYyTLf3GoZwiIJkIzISuL1JAtBfNI_kPIGGyvHRt5rJ4u8mepMcszkJuCsOn4qR7hekDFRzCmTGyc-o1tUdis4AQ4J9zngf-jDI29RleO6T/s1600/%25E6%2597%25A9%25E7%25A8%25B2%25E7%2594%25B0%25E9%2580%259A%25E3%2582%258A.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiAolGOTTh_y01IpFcxTHdtPTYuSqyLwoVTjVYyTLf3GoZwiIJkIzISuL1JAtBfNI_kPIGGyvHRt5rJ4u8mepMcszkJuCsOn4qR7hekDFRzCmTGyc-o1tUdis4AQ4J9zngf-jDI29RleO6T/s320/%25E6%2597%25A9%25E7%25A8%25B2%25E7%2594%25B0%25E9%2580%259A%25E3%2582%258A.jpg" width="200" /></a></div><br />
<p>それから、早稲田通り沿いに中野付近までたどり着いた時には、すでにクルマに乗ってから2時間以上がたっていた。</p>
<p>その間にも、歩道を歩く人々の群れは切れ目なく続いている。みんな決して疲れた風ではなく、むしろ強い足取りで歩いていく。</p>
<p>ぼくはN君との会話の合間にそんな人々の姿を見るとはなしに眺め、またなじみの建物を探し(学生時代には中野にすんでいたので、その辺りは知らない場所ではなかった)、手元に視線を戻してはFacebookで会社の同僚たちの動静を知ったりしている。</p>
<p>ある者は家にたどり着き、ある者は会社が用意したホテルに集まり、またある者はまだ歩いている。とっくの昔に諦めて店で一杯やっている者もいるし、どこかの映画館が開放した座席で休んでいる者もいる。</p>
<p>いずれにしても、Facebook経由でどんどん入ってくる情報のおかげで、ひとりで歩いているときからずっと仲間と一緒にいるようだった。</p>
<br />
<p>中野付近で足止めを食ったままどれくらいの時間がたっただろうか。</p>
<p>ふいに、東村山辺りで動けずにいる妻からメールが入る。</p>
<br />
「西武線が動き出したみたいよ」。</p>
<br />
<p>あわてて西武鉄道のサイトをチェックすると、たしかにそんなアナウンスが出ている。</p>
<p>クルマはちょうど中野五丁目の交差点まで来たところだ。</p>
<p>地図で調べると最寄りの駅は新井薬師前。N君の奥さんがすばやくカーナビをチェックし、ハンドルを右に切る。</p>
<br />
<p>新井薬師前方面に抜ける道はなぜか空いていた。新井一丁目辺りでN君のクルマを降りると、最後の100メートルくらいを歩く(考えて見れば、その道はまだ結婚する前に中野のぼくの家から所沢まで帰る妻をよく送っていった道だった)。</p>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjz0etHKnn_GPile8NjnYIb83Vr2Nm1KQKUopgADn9Zym2GMrO9YgW-9W29bDFVWColxWcJX1fL5QUSG1d63RonvSy4aQuprUzW-xXpxGQyV8awm8ytp_Z7aEdFIEHByCuWJ97kJKFC797p/s1600/%25E6%2596%25B0%25E4%25BA%2595%25E8%2596%25AC%25E5%25B8%25AB%25E5%2589%258D.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjz0etHKnn_GPile8NjnYIb83Vr2Nm1KQKUopgADn9Zym2GMrO9YgW-9W29bDFVWColxWcJX1fL5QUSG1d63RonvSy4aQuprUzW-xXpxGQyV8awm8ytp_Z7aEdFIEHByCuWJ97kJKFC797p/s320/%25E6%2596%25B0%25E4%25BA%2595%25E8%2596%25AC%25E5%25B8%25AB%25E5%2589%258D.jpg" width="200" /></a></div><br />
<p>新井薬師の駅前まで来た時、目の前の踏切を明かりのついた電車が走っていくのが見えた。</p>
<h3>帰宅</h3>
<p>最初に来た急行は超満員だった。一本見送り、次の各停を待つことにする。</p>
<br />
<p>ふと、まだ食事をとっていないことに気づく。とにかく高田馬場まで行き、状況を見てからどこかの店に入ろうと思っていたのだ。そこで偶然N君に出会い、奥さんのクルマが到着して、と展開が慌ただしかったのでまったく忘れてしまっていた。</p>
<p>とは言え、見渡したところで開いている店は見あたらず、家まで我慢することに決める。</p>
<br />
<p>やがて来た各停の座席はガラガラだった。</p>
<p>いったん乗ってしまえば、あとはもういつもの帰り道と大差はない。</p>
<p>家の近くの駅に着いた後ついいつものようにTSUTAYAに向かい、閉まっているのを見て地震のことを思い出したほどだ。</p>
<br />
<p>結局、家にたどり着いたのは12時過ぎだった。オフィスを出てから5時間以上たっていた。</p>
<p>ぼくを迎えに行っていた妻が東村山から引き返し、家に戻ってきたのはそれから30分くらいも後だった。途中までクルマに乗せてくれたN君たちの方は、1時前にようやく家にたどり着いたそうだ。</p>
<br />
<br />
<p>こうしてそれぞれの夜を過ごした後、ぼくたちの誰もがひとつの事件が終わったと思っていた。だが、今となっては誰もが知っているように、それは一連の事件のはじまりの1日でしかなかった。そして、これを書いている時点でそれがいつ終わるのか誰も知らない。</p>
RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-19467994148869557372009-09-16T17:12:00.008+09:002017-03-11T23:18:13.617+09:00砂漠に降る雨<div class="separator"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2Ru0q4QGu615-UiuuV0J5VMpoiOtJeE9cdvItmjwE2VU80TAWfqvuUIBHvxtDvIo9tfQyh_YC4RNzJ0NkiL1xc9n8Uihxmqxm7o9mg0PM5Y7HUs9Yg-FWrhzPgiObzbja2VP3hJfiouO_/s1600/163412_184167354940909_100000429363477_588315_715431_n+%25281%2529.jpg" imageanchor="1"><img border="0" height="300" width="400" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg2Ru0q4QGu615-UiuuV0J5VMpoiOtJeE9cdvItmjwE2VU80TAWfqvuUIBHvxtDvIo9tfQyh_YC4RNzJ0NkiL1xc9n8Uihxmqxm7o9mg0PM5Y7HUs9Yg-FWrhzPgiObzbja2VP3hJfiouO_/s400/163412_184167354940909_100000429363477_588315_715431_n+%25281%2529.jpg"></a><br>
<div>(デザートガーデンズホテルの中庭)</div></div>
<h3>1. ランドリールーム</h3>
<p>夕暮れのエアーズロック。</p>
<p>ホテルのフロントで教えてもらったランドリールームは、ぼくたちが泊まっている部屋からずいぶん離れたところにあった。</p>
<p>敷地の中に点在する宿泊棟の間を抜けてランドリールームの方に歩いていくと、芝生の上に何かいる。</p>
<p>夕闇に目を凝らしてみると、ウサギだ。</p>
<br>
<p>何でオーストラリアにウサギがいるのかと思ったら、(あとでネットで検索したところ)その昔ヨーロッパ人が持ち込んだウサギが繁殖し、オーストラリア中に広がったものらしい(おかげで多くの動物種が絶滅したらしい。ウサギの繁殖力や恐るべし)。</p>
<p>写真を撮ろうにも、辺りはもう暗くなりかけていてケータイのカメラではとても捉えきれない。</p>
<p>少しでも明るい方に追いやろうと、小学生の息子が後ろから回りこんで行く。</p>
<p>ウサギは馴れているのか危険を感じないのか逃げる気配もない。ひょこっと2、3歩動いてうずくまる。息子が迫るとまたひょこっと動いてうずくまる。しかし、なかなか思うように明るいところには出て行ってくれない。</p>
<p>業を煮やした息子がさらに踏み込むと、さすがに今度は遠くまで逃げて行ったが、逃げた先もまた潅木の陰。どうやらウサギは陰になる場所を選んで移動しているようだ。</p>
<br>
<p>名残り惜しそうな息子を促し、ぼくたちはふたたびランドリールームに向かう。</p>
<p>もうだいぶ暗くなった小径を歩いていくと、後ろから年配の白人の夫婦(体格は全然ぼくたちより大きい)が追いついてきた。</p>
<p>「洗濯に行くのか(もちろん英語で)」と聞くので、「そうだ」と答えると「こっちだよ」と右手に入っていく。</p>
<br>
<p>ランドリールームには洗濯機らしきものが5台くらい置いてあった。</p>
<p>「これとこれが洗濯機。こっちが乾燥機。洗濯はこれをこうしてこうやって回すとセットできる。わかるな。そして金は要らない(笑)」</p>
<p>テキパキと教えてくれると、二人は乾燥機から中のものを取り出し「じゃあな。バイ」と出て行った。</p>
<h3>2. アウトバック・パイオニア</h3>
<p>教えられた通り洗濯をセットし終わったぼくたちは、夕食を食べに出ることにした。</p>
<p>リゾート内を巡回しているバスに乗って、行く先はリゾート内の別のホテル「アウトバック・パイオニア」だ。ここには新婚旅行で来たときに泊まったことがある(当時は別の名前だったが)。</p>
<br>
<p>砂漠の夜は真っ暗だ。</p>
<p>バスはいくつかのホテルを経由していくが、真っ暗闇の中に点々とホテルが存在し、そこだけが明るく人の気配がある。</p>
<p>そう言えば、新婚旅行のときはリゾート内のショッピングセンターで夕食をとり、アウトバック・パイオニアまで砂漠を突っ切って歩いて帰った。真っ暗な中(怖いので)手をつないで、星空と方向感覚だけを頼りに歩いたのだった。</p>
<br>
<p>やがて着いたアウトバック・パイオニアは昔とずいぶん変わった印象だった(それはそうだろう。もう17年もたってるんだから^^;)。</p>
<p>中庭のフードコートでは、生バンドが演奏をしていた。ぼくたちはピザとビールを頼み(子どもたちはコーラ)、テーブルについて演奏を聴きながら食べた。</p>
<br>
<p>フードコートの一角、ステージに近いところにビリヤード台があった。</p>
<p>ちょうどピザを食べ終わった頃、先客がいなくなったのでぼくたちも久しぶりにチャレンジすることにした。11歳の息子に「やってみるか」と聞くとまんざらでもなさそうだ。</p>
<p>息子に教えながら妻と3人(娘は興味がなさそうだった)でゲームをはじめる。見よう見まねで息子がキューをかまえると、そばでタバコを吸いながら眺めていた男が(英語で)かまえ方をアドバイスしてくれた。</p>
<br>
<p>褐色の肌をして髭を生やした、ちょっと雰囲気のある男だった。</p>
<p>男は、その後も息子がキューを持つたびアドバイスしてくれた。しかし、はじめてビリヤードをやる息子がそうそう的球に当てられるはずがなく、また10年ぶりくらいにキューを握るぼくたちもそうそうすぐに勘を取り戻せるわけがなく、ゲームは長い砂漠の夜と同じくなかなか終わる気配がなかった。</p>
<p>いいかげん次の客たちが待っているようだったので、最後のナインボールは(そこだけ上手に)ぼくが仕留めて終わりにした。</p>
<p>去り間際、男の方に手をあげてあいさつすると、彼はうなづいて親指をたててみせた。</p>
<h3>3. 砂漠に降る雨</h3>
<p>ホテルに戻り、ランドリールームで洗濯物を回収する。帰り道、パラパラと雨が降ってきた。</p>
<p>部屋に帰り着くと、やがてそれはシャワーのように降り出した。</p><p>砂漠の真ん中の雨。</p>
<p>それにしても、ホテルで洗濯をしようと思わなければウサギを見ることもなかったし、日本ではゲームばかりやっている息子がウサギを追いかける姿も見られなかった。洗濯機の使い方を教えてくれる陽気な夫婦にも出会えなかった。</p><p>そして、夕食に出かけフードコートでビリヤードをやらなければ、昔ビリヤードをやっていた親切な男にも出会えなかった。</p>
<br>
<p>砂漠の雨も部屋の中で音を聞くだけだっただろう。</p>
<br>
<p><a href="http://f.hatena.ne.jp/moaii/20090826183339" class="hatena-fotolife" target="_blank">
<img src="http://cdn.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/moaii/20090826/20090826183339.jpg" alt="f:id:moaii:20090826183339j:image" title="f:id:moaii:20090826183339j:image" class="hatena-fotolife"></a></p><p>(デザートガーデンズホテルからショッピングセンターを望む)</p>RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-78414031314085311242009-05-30T08:35:00.001+09:002015-02-06T00:19:28.479+09:00のだめカンタービレ再び<p>久しぶりにドラマ「のだめカンタービレ」(日本篇)を見直した。</p><br />
<p>あらためて感じたのは、映像表現におけるその光線の使い方の独特なうまさだ。</p><br />
<p>第一話のオープニング、舞台はプラハ。ドボルザーク「チェコ組曲」の弦の調べに乗せて駆ける、少年の日の千秋。それに被さるモノローグ。</p>
<blockquote>親愛なるウ゛ィエラ先生‥
</blockquote>
<p>露出過剰ぎみのカメラは世界的指揮者ウ゛ィエラ先生と千秋少年の交流をまぶしく映し出し、やがて風景が切り替わるとそこは、現在の千秋の部屋。壁にもたれ物思いに耽る大学生の千秋‥。</p><p>逆光になった構図の中で、光の方を見上げる彼の目に映っているのは少年の日の風景か、それともいつか世界の檜舞台に立つはずの自分のイメージか‥。</p><p>どちらにしても、目を眩ませるその光がまばゆければまばゆいほど、彼の抱える現在の鬱屈感がむしろ前面に浮かび上がってくる。</p><br />
<p>再びモノローグ。</p>
<blockquote>親愛なるウ゛ィエラ先生、何故ぼくはここ(日本)にいなければならないんでしょうか‥
</blockquote>
<p>あふれるほどの才能を持ち、それを自覚しているだけになおさら、募るのは自分が未だ何者でもない焦燥感。おまけに、ウ゛ィエラ先生の元に海外留学したくても少年の頃の飛行機事故がトラウマとなって、飛行機に乗れないという我が身の歯がゆさ‥。</p><p>「オレさま」と言い放ち、「みんなヘタクソ」と切り捨てながら、学内を闊歩する彼の傲慢さはその気持ちの裏返しなのだろうか。</p><br />
<p>特徴ある光線の演出は、このドラマの随所で使われている。</p><p>のだめとの出会いのシーン。どこからか聞こえてくる「月光」の音色に引き寄せられて音楽室を覗きこむ千秋の目に映るのは、赤みを帯びた夕光をバックに一心にピアノを弾くのだめの姿。</p><p>また、のだめに介抱された千秋が翌朝彼女の部屋で目覚めたとき、最初に目にするのは朝の光をバックにやはりピアノを弾くのだめの姿だ。</p><p>そのまぶしさは、やがて千秋にとって意味を持ちはじめるのだめの存在を予感させる何かであったのだろうか。</p><br />
<p>いずれも光と影。芸術の崇高な理想と予感。自らの置かれた現実と焦燥。時にハレーションを起こすほど光源に焦点を当てるカメラが際立たせるのは、そのコントラストだ。</p><br />
<p>登場人物たちのドタバタコメディぶりが際立っているためについ見落としがちだが、そのコントラストこそが「のだめカンタービレ」日本篇を支える通奏低音となっているのであり、そこにこのドラマの魅力の最良の部分がある。</p><p>だからこそ、随所に爆笑ネタを散りばめながら、それで終わることなくこの作品はぼくたちの心にしっかりと残ってくる。それは、そこに流れる音楽の美しさのためだけではないだろう。</p>RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-4228256634172459942007-06-02T07:05:00.002+09:002011-03-01T23:45:03.995+09:00広報おおっ<blockquote><p>「広報おおつ」 広告を募集</p><p>【京都新聞 2007/05/29 朝刊】</p><br />
<p>大津市は、市の広報誌「広報おおつ」に、企業などの広告を有料で掲載することを決め、募集を始める。</p><p>広告は、裏表紙の下部に掲載する。</p></blockquote><br />
<p>広報「おおっ」かと思った^^;</p><p>また思い切った名前の広報誌を出すなあと。</p><br />
<p>でも、そんな名前にしたら毎日の会話がタイヘンだろうね。いちいち力入っちゃって(笑)</p><br />
<blockquote><p>○○君!「おおっ」の準備は進んでるかね?</p><br />
<p>はいっ。今月は巻頭カラー12ページ特大号です!</p><br />
<p>おおっ</p></blockquote><br />
<p>ってか(笑)</p>RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-75808958894258748482007-05-01T05:27:00.005+09:002015-02-06T00:20:56.671+09:00マウンド上での会話<p>久しぶりに西武ドームあらためグッドウィルドームで野球観戦。</p><p>2位ロッテと3位西武のゴールデンウィーク決戦は超満員だった。</p><br />
<p>途中、西武のピッチャーがまったくストライクが入らなくなった時があった。</p><p>3者連続四球で、ノーアウト満塁。たまりかねてキャッチャーがマウンドに行く。</p><p>マウンド上でなにやらゴチャゴチャ言ってる。</p>
<blockquote>
<p>おい、ストライク投げろよ</p>
</blockquote>
<blockquote>
<p>入らねーんんだよ</p>
</blockquote>
<blockquote>
<p>おれが構えてるところに投げればいいんだよ</p>
</blockquote>
<blockquote>
<p>それができりゃ苦労しねーよ。だったらお前が投げてみろよ</p>
</blockquote>
<p>マウンドを下りて守備位置に戻るキャッチャー。</p><p>と、振り返って何か言う。</p>
<blockquote>
<p>今度はまんなかに投げろよな</p>
</blockquote>
<p>って草野球じゃないんだから(笑)</p><br />
<p>こんな風に妻とアテレコしながら観戦するのは、なかなか楽しい^^;</p>RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-59409908186288306002007-04-18T00:40:00.003+09:002015-02-11T21:06:30.040+09:00毎朝駅に向かう途中の風景<p>ここを通る度、新婚旅行で行ったケアンズを思い出す。</p><p>ただそれだけなんですけど^^;</p><br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi9VVLc_KOW6hcX_Y5VUnEhv-FnyaAisYqd78lTDJZ3M1oSp7doivXsIN8YoX3yifbmgwKSoFT2_toTZbogMBYlqOMWehD3foMSDR8N3b41QmygsKpQ5hcslXIgd0D77bKW0asD1OHLJPcA/s1600/20070406083202.jpg" imageanchor="1" style="clear:left; float:left;margin-right:1em; margin-bottom:1em"><img border="0" height="320" width="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi9VVLc_KOW6hcX_Y5VUnEhv-FnyaAisYqd78lTDJZ3M1oSp7doivXsIN8YoX3yifbmgwKSoFT2_toTZbogMBYlqOMWehD3foMSDR8N3b41QmygsKpQ5hcslXIgd0D77bKW0asD1OHLJPcA/s400/20070406083202.jpg" /></a></div>RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-26775510433065707042007-01-10T07:29:00.003+09:002015-02-11T21:01:52.291+09:00同窓会と格差社会中学の同窓会があった話はもう書いた。<br />
<br />
実を言うと、それは中学の閉校記念の同窓会だったのだ。<br />
田舎の過疎地の話ではない。地方都市とは言え市の中心部、下町の話だ。<br />
住宅の郊外化は地方都市でもどんどん進んでいるようで、母校の中学も近年はすっかり生徒数が減っていたらしい(ピーク時には1765名いた生徒数が現在は133名だという。ちなみに一年生は27名)。<br />
<br />
<blockquote>
<div class="separator">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhzdpeC0o81-qHdQ4sf8v6jsXYlEniiixTV6woSqBCpuu1_6CxUpY5eAxnQU0EfNNPCsbtKtE3jwIyHxSHbWA0is-8eXlX-uLMo0mcru1GZGgvAV5gzWzz8FjgmzF9JsN11sIjOq2dA-zZN/s1600/20070102162612.jpg" imageanchor="1"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhzdpeC0o81-qHdQ4sf8v6jsXYlEniiixTV6woSqBCpuu1_6CxUpY5eAxnQU0EfNNPCsbtKtE3jwIyHxSHbWA0is-8eXlX-uLMo0mcru1GZGgvAV5gzWzz8FjgmzF9JsN11sIjOq2dA-zZN/s320/20070102162612.jpg" height="320" width="240" /></a></div>
</blockquote>
<br />
ただ、ひとつ明るさを感じるのは、単なる閉校ではなく、近隣の中学校と小学校数校を統合して新しく小中一貫校を作る計画の一環だという。<br />
公立の小中一貫校というのははじめて聞いたが、さすがは教育熱心で知られる県らしい。<br />
<br />
ところで、今回の同窓会は行く前から不安がひとつあった。<br />
<br />
下町の学校だったので、商店街の子どもが多かった。床屋の子どもやおもちゃ屋の子ども、バーやスナックの子どももいた。ちょっと柄のあんまりよくない地域も校区に入っていた。<br />
格差社会という言葉がマスコミを賑わす昨今、それらの連中はどうしてるんだろうと思っていたのだ。何せ27年ぶりの再会。卒業後の消息もまったく知らない連中がほとんどだ。<br />
景気は好調と言ってもそれは東京を中心とした一部の業種のしかも大企業の話。ぼくの郷里は四国の、かつては玄関として栄えた町だが、瀬戸大橋以後は地盤沈下がささやかれている。その中でも下町の商店街となれば、商圏人口は減る一方だし、業種的にも今どき床屋やおもちゃ屋が儲かっているはずがない。<br />
こっちも勝ち組というほどのものではないし、そんな捉え方自体好きではないが、久しぶりに会ったときにそういう格差がはっきり見えてしまったらイヤだなと思っていたのだ。<br />
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<a class="hatena-fotolife" href="http://f.hatena.ne.jp/moaii/20070102163923" target="_blank"><img alt="f:id:moaii:20070102163923j:image" class="hatena-fotolife" src="http://cdn.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/moaii/20070102/20070102163923.jpg" title="f:id:moaii:20070102163923j:image" /></a></blockquote>
<br />
だが、会ってみたらそんな心配はまったくの杞憂だった。<br />
みんな実に元気だった。サラリーマンが相対的に少ないのは上の事情からしても当然だが、床屋の息子は店舗を大きく拡張する計画を熱く語っていたし、居酒屋をやっている友だちは髭などたくわえて貫禄十分だった。高校からラグビーをはじめた奴は勤務先のラグビー部のコーチになっていたし、社会人になってから趣味でダンスをはじめた奴は、今年からは勤めも辞めてフリーのインストラクターになったりと、サラリーマンをやってるこちらが恥ずかしくなるほどだった。<br />
<br />
不況の影を感じる話もないではなかったが、概ねみんな自分の場所でしっかり生きているなあというのが終わってみての率直な感想だ。<br />
東京にいると何だかみんなサラリーマンばっかりのような気がしてくるが、多彩な生き方があるんだなあというのがとても新鮮だった。<br />
加えて、誰もが何の屈託もなく話しかけてくるのも気持ちよかった。会わなかった時間が長いほどかえって、会った瞬間にその距離を一気に飛び越えてしまえるのだろうか。ああ、あの頃はこんなにみんな距離が近かったんだなあと思った。何のことはない、身構えていたのはぼくの方かもしれなかった。都会で暮らすうちに人との間に距離を置くことを覚えてしまっていたのだろうか。<br />
<br />
格差社会なんていうのも、意外とマスコミが作った幻想かもしれない。社会的な視点というのは必要だと思うが、そうした視点はどうしても目の前の現象を固定して見せがちだ。目の前にある生きた現在に目を向けるならば、そちらの方がよほどたくましいということは結構あるのではないだろうか。RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6213450326666600423.post-16688958889738877002007-01-05T20:18:00.002+09:002015-02-11T21:01:24.582+09:00帰省して<p>中学の同窓会があって、久しぶりに四国に帰省した。</p><p>妻子とともに実家近くの駅まで行き、母親に出て来てもらってお茶をした。</p><p>翌日の同窓会に出席するぼくは、そのまま九州の妻の実家に向かう妻子を駅で見送り、母親と二人で実家に戻った。</p><br />
<p>家に帰ると、親父がいた。</p><p>ウチの親父は相当な変人で、機嫌が悪いと息子のぼくにさえ口をきかない。それも半端ではない。そういう状態が何ヶ月も、何年も続いたりするのだ。</p><p>最近は歳のせいか身体の調子が悪く、したがって機嫌もすこぶる悪く、もう10年くらいそんな調子だ。</p><br />
<p>この日も、家に入ると親父が洗面所から出てくるところだった。</p><p>「よお」と声をかけようとしたが、こちらを見もせずガラガラと戸を閉めて、自分の部屋に入ってしまった。</p><p>子供の頃からの話でこっちも慣れているのだが、今回ひとつだけ新しい発見があった。</p><br />
<p>夕食を食べるので、親父が自分の部屋から出て来たときのことだ(親父は床に座ったり立ったりするのがつらいので、キッチンの隅のテーブルで一人で食事を摂る)。</p><p>ぼくは隣の炬燵のある部屋にいたのだが、その(仕切りになっている)戸を閉めろ、という声が聞こえてきた。</p><p>続いて「何でな」という母親の声。</p><p>「病人は食べるところを見られたくないんじゃ」という親父の怒った声。</p><p>母親が「すまんなぁ」とこっちを覗き込み、「ちょっと閉めるけどええか」と言う。</p><p>ぼくは苦笑しながら、手を振って閉めていいよと伝える。</p><br />
<p>新たな発見だったのは、親父自身実はぼくの存在を意識していたのだな、ということだ。</p><p>親父はちょっと異常なくらいプライドが高い。だから、箸を持つ手が震えるのを息子に見られたくなかったようなのだ。そこにある親父なりの意地のようなものを、ぼくは40歳を過ぎてはじめて感じとることができた。</p><br />
<p>子どもの頃には、そんなことまったく感じようもなかった。</p><p>ぼくにしてみれば、何ヶ月も何年も口をきいてもらえないことによって、ぼくという存在そのものをまったく認識さえされていないような気持ちだった。空気のように、いてもいなくても変わらないもの、そんな風に思われていると思っていた。</p><p>機嫌が悪い時期の親父とひとつ屋根の下に暮らすのは重苦しかった。親父がいると、母親との会話さえ控えがちになる。そんな日常に慣れるうち、ぼくは家にいてもどこにいても、空気のように自分の気配を殺すようになっていた。</p><br />
<p>しかし、「病人は見られたくないんじゃ」という親父の言葉で、少なくとも彼がぼくの存在を認識していたのだ、いやむしろ認識しているからこそ口をきこうとしなかったのだとわかる。認識した上で関係を遮断していたのだと。</p><p>もしそうなら、もうぼくは「いてもいなくても変わらない存在」ではない。歓迎はされていないかもしれない(これはこれで問題だ)が、少なくとも彼の意識に何らかの影響を与える存在であることは間違いないからだ。</p><br />
<p>もう老人になってしまった親父が、しかも歳とともにますます意固地になっていく親父が今さら変わってくれることなど期待すべくもない。そうした現実に立って考えれば、上の事実だけでもぼくにとっては十分であるような気がするのだ。</p><p>少なくとも、長い間ぼくの精神構造に影を落としていた「自分は存在を認められていないんじゃないか」という密かな不安が、根拠のないものだったとわかった限りにおいて。</p><br />
<div class="separator">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjVPtVuGOGYeXMahHm0cie6AMMJhPrB9ofbbhJ6tl9eHtJLGqfrvQkWdeFJfYLfMcjGVbebuvptcA7LfcKkbRA3fkFVpGu75zlHIOS4HJ2rF3IbqrSutrGh-_pYWpFKIXYDbp1cTkS64U2d/s1600/20070102191307.jpg" imageanchor="1" style=""><img border="0" height="320" width="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjVPtVuGOGYeXMahHm0cie6AMMJhPrB9ofbbhJ6tl9eHtJLGqfrvQkWdeFJfYLfMcjGVbebuvptcA7LfcKkbRA3fkFVpGu75zlHIOS4HJ2rF3IbqrSutrGh-_pYWpFKIXYDbp1cTkS64U2d/s320/20070102191307.jpg" /></a></div>RYO NAKAGAWAhttp://www.blogger.com/profile/05887463633322366088noreply@blogger.com